"ふと弛むこの気持ちの在処"
あぁそうだそうだ。
なぜだかいつも、少し生温くて、でも冷たくて、けれど寄り添うような風が、やさしく吹いているような日だったんだった。
過ぎてしまったからこそ、鮮明に思い出すのかな。
あのときは、こんな風に思い返すことができるのも、その気持ちに想いを馳せることができるのも、まるで想像すらしていなかったのだけど。
ほんの少しだけ、傍観できていたらよかったみたい。おんなじ目線で、どこまでも先を見つめようと必死になっていたから、どこが目の前なのかわからなくなっていたかのような、境界線を見失っていたかのような。
今となっては、そんなことすら考えられなかったのか?なんて思うけれど、どこへ向かうべきなのかもわかっていなかったのだから、仕方がなかったのだ。
じぶんの言葉で、じぶんの気持ちを目一杯表現できるような人間が好きだった。
そう思っていたのだけど、言葉では表しきれない気持ちというものがあることを、知らなかっただけなのかもしれない。表現し得るものすべてが正しくて、それ以外は誤りなんてことがあるはずもないのに。
『言葉にしてくれなきゃ、なにも伝わらないよ。』
たしかにそう、思っていたのだけどね。
気づけば季節が巡っていて、あの頃の記憶も、思い出も、無意識のうちに上書きされてゆくのだろう。
ひとつの希望を手放すとき、それはきっと絶望なんかじゃなくて、もっと別の惑星の星を掴むような、そんな未知なる世界への一歩なんじゃないかな。
あの日みた空も、今眺めているこの景色も、これから映るものすべて丸ごと、じぶんの細胞の一部となって生き続けるのだとしたら、「な〜んだ。やっぱり手離すものなんて、ひとつもないじゃない。」と思う。
そしてそれは、この無限に広がる海を眺めたあとそう思ったのだから、やっぱり海ってすごいパワーをもっているんだなぁと。
いつだって心を落ち着かせる手段が海に行くことなのは、今のところ間違っていなさそうだ。
“執着と、守ろうとする意志の間は紙一重"
梨木香歩さんのことば、胸に抱き締める。
雪解けはもうきっと、すぐ足元まで近づいている。