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ほぼほぼっていう日本語にゲシュタルト崩壊を引き起こされる

あなたは「ほぼほぼ」という言葉を使いますか?ここ数年でよく聞くようになったと思って調べてみたら、2016年の「今年の新語大賞」に選ばれていました。

選考委員の解説によると、「ほぼほぼ」の意味は、

問題となる事柄に関して、完璧だというわけにはいかないが、こまかい点を除けば、その人なりに全体にわたって妥当だと判断される様子。「ほぼ」の口頭語的な強調表現。

だそうです。たしかに普段使っているイメージはそんな感じ。ほぼほぼ終わりました。とか、ほぼほぼ大丈夫です。とか。

この「ほぼほぼ」という新しい日本語、会話で使う分には問題ないんですが、文字にしてみるとなんだか読みにくくないですか?

ほぼほぼ。「ほ」が4つも続くから、文字としての認識がおかしくなる感じがします。10秒くらいじっと見つめていると、「ほ」っていうひらがなが存在するのかすら疑わしくなってきます。

それと同じパターンで、「ただただ」も文字にすると読みづらいです。同じ文字が連続すると読みにくいんですかね。

こういう認知のゆがみをゲシュタルト崩壊っていうらしいです。wikipediaの説明は以下になってます。

ゲシュタルト崩壊(ゲシュタルトほうかい、独: Gestaltzerfall)とは、知覚における現象のひとつ。全体性を持ったまとまりのある構造(Gestalt, 形態)から全体性が失われてしまい、個々の構成部分にバラバラに切り離して認識し直されてしまう現象をいう。
〜中略〜
例えば同じ漢字を長時間注視しているとその漢字の各部分がバラバラに見え、その漢字が何という文字であったかわからなくなる現象である。

ここで、この記事のタイトルをもう一度。

ほぼほぼっていう日本語にゲシュタルト崩壊を引き起こされる。

文字が分解されていって、こんなひらがなあったかな?という感覚になりませんでしたか?

僕は書き言葉では「ほぼほぼ」と「ただただ」は使わないように気をつけてます。(気づかないうちに使ってるかもしれないけど)

誰か共感してくれる人がいるんじゃないかと思っています。

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