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職歴20個以上の女の話。

これは僕の知り合いのA子という女性の職歴の話である。

残された彼女の日記

行方不明になった彼女の家には大量の日記が残されて居た。
この文章はその日記からの抜粋である。
以下は全てその女が実際に送った人生の話である。


A子の職歴

色んな仕事をした気がするけど、日に日に忘れて行きそうだから、ここらでいっちょまとめてみるよ。

学生時代

・ファミレスで皿洗い(3ヶ月弱)
決めごとがとても細かすぎて耐えられなかった。というか、制服のネクタイと、エプロンのリボンの結び方がマニュアル通りできないのが地味につらくて辞めたような気がする。

・お総菜工場でおせちなどを作る(短期)
寿司を握ったりしてた。当時JKだったので「女子高生が握った寿司」で売った方がよくね!?ってずーっと妄想しながら仕事してた。時間の流れがおそすぎてつらかった。

・選挙事務所で事務員。(短期)
住所データの打ち込みなどをやってた。髪の毛ピンクだったけど、大歓迎って空気でよかった。
この時は、落選しちゃったけど。知らない業界が覗けて面白かった。

・有名ケーキ屋で売り子(1年弱)
一人店番だから最高だった。古くなったケーキは持ち帰って友人達に振る舞って、時々お誕生日のネームプレートに好きなキャラの名前を入れて持ち帰ったりした。
売れない日は、ホールケーキが4つ余ることもあったよ。

社会人時代

・印刷会社でDTPデザイナー(1ヶ月半)
新卒で4月からビシッと入った。本当は事務員やりたかったのに、デザイナーとして配属されて、1ヶ月半頑張ったけど、わたし人のためにこういうこと考えるの無理だと真剣に悟って退職した。

・紳士服メーカーで経理(正社員)(10ヶ月)
就職浪人を装って入った会社。実質二社目。
経理で入ったけど、出荷の肉体労働の方が多かった。今で言うブラックだな……。
オフシーズンにマラソンで痩せた身体が、オンシーズンのストレスでリバウンド。毎日パフェ食べないとやってらんなかったっす。
車の中で泣きながら毎朝通勤。

・神保町の大きな本屋さん(バイト)(1ヶ月半)
東京で初めてやった仕事。時給900円で、かけもち。しんどくて1ヶ月半で止めた。
わたしも腐女子なんだけど、腐女子のみなさんに「こっちくんな」って目で見られてよそよそしくされたから、オタクに見えなかったのかな!?と嬉し悲し。

・居酒屋のバイト(3ヶ月)
かけもち夜部門。ノーナのおっけんさんがお客さんで来たのが、それだけがめちゃくちゃいい思い出! 思い切って声かけて、握手してもらったよー!
かけもちがつらくて、3ヶ月くらいで止めるっていったら、社員の人が怒って「長期でやるって言ったくせに、約束違反だ! 求人情報誌の原稿料5000円寄越せ」って言われて、5000円取られてやめたよ。(履歴書で個人情報を握られてるから、下手に逆らわない方がいいと思って)
恐ろしいところですね!

・パソコン教室の先生(バイト)(3ヶ月)
Adobe、サイト作り、オフィスを全部教える先生。Adobeやれる人がいないということで重宝がられたけど
三ヶ月経っても時給が900円の研修価格から上がらなかったから止めた。
社長は若い女性で、いい人だったけど、おそらく苦労は知らなくて、食の貧しいわたしに「ちゃんといいもの食べなくちゃだめだよ〜」と無邪気に言って下さって……あれが忘れられない。もっとお金があったら、いいもの食べてるよ! って。
止めるっていったら止められるから、実家帰るとウソをついたら、うちに住み込んでいいから、とまで言ってくれて、ちょっとよくわかんなくなった。いい人だったと思うんだけど。ちょっと残念。

・インターネットの開通案内センター係(半年)
電話とかメールで開通手続きをするんだけど、時々クレームもあるからしんどかった。
そして、職場がすごくギスギスしてて、喋る人もいなくてだいぶ壊れかけた気がするなー。
会社が駅から歩いて25分…? とかだったかな。とにかく陸の孤島で、そこも含めてぼろぼろだった。
とにかくぼろぼろだったよ。

・ヘッドハンティング会社で営業事務(派遣)(半年)
こんな仕事があるんだな! という意味で勉強になった。
上司のおじさんが、イライラすると私に八つ当たりする人で酷すぎだったから、派遣会社の人がチェンジしてくれた。色々らっきー。おじさんは酷かったけど、社長秘書のおねーさんが才色兼備の優しい人で本当にお世話になりました。

・恵比寿OL(経理)一期(派遣)(半年)
派遣で入った所だったので、他の派遣社員の女性たちと仲良くしているうち、毎日一緒にランチを過ごすことになってしまう。
恵比寿のランチのおいしさがよく分かった一方、ランチ代にお給料が消えていって貯金が出来なかった半年でした。派遣の中では会社的に(社員さん的に)評価してもらってたらしくて、止めるときに派遣で唯一送別会を開いて貰ったり、おねーさんたちから色々とプレゼントもらったりして、嬉しい「わーお」だった。

・某大企業で工業簿記ジャンルの経理(契約社員)(1年)
割と専門的な内容だったし、歯車のねじ感がすごくて最初全然意味がわからなかった。
大企業のものっすごいシステム……本社には幹部専用のレストランがあるだとか、社内メール便のすごさとか、社内にシャワーや医務室やジムがあったりとか……とにかく凄いモノ見たなーと思った。
部署のボスが、江戸っ子を地で行くステキな方で、口は悪くてべらんめぇだけど「早く帰りな」って言ってくれたり、ごはんご馳走して下さったりと、優しい人だった。そして私が辞めた後に大出世したと聞いて納得。
・その間…18切符で福岡〜北海道まで旅をした。行ってよかったなあ、本当。

・有名大書店でアルバイト(1ヶ月)
時給900円で一流ホテル並の接客を求められたので、研修で「こりゃあかん」と思って「やめます」と言ったのに、おじさんに「そのくらい真面目な方が見込みがあるんだ」と説得されて一応やることに……。
でもやっぱ、時給900円×7時間で東京の一人暮らしが成立するわけもなく、1ヶ月でやめる。
おじさんに「うち、時給高い方だよね!?」って言われたけど。。本屋では時給高いけど……。
こういう仕事は実家暮らしじゃないと成り立たないね。
好きなバイトして、小説書こうって思ってたんだけど、やっぱりお金は必要だった。

・恵比寿OL経理二期(1年)

当時の写真。サングラスのは社員旅行。右上も会社行く格好。

派遣から正社員にしてもらって、仕事も評価してもらえたし、上司も先輩も職場環境も最高の素晴らしい職場だった。女性も男性もステキな人が沢山いたよ。ランチはどこも美味しくて素晴らしいし。温かい時はガーデンプレイスのベンチで昼寝したり小説書いたりしてたよ。恵比寿だいすき♡

毎日腕に何か書き殴ってた。リスカのように。ロリータ靴、ベレー帽で通勤。

だけど思うように小説を書く時間が取れないわたしは、メンへラ化してしまい、丁度家庭の都合とか出て来て退職。

・下北沢でDJ女給(1年ほど)
カフェのバイト。一人店番なので、一人で食事も作って、ケーキも三種類焼いて、コーヒーもチャイも何でも作った。DJもVJもやり放題で楽しかったなああ。でも他のスタッフと何となく合わなくて(嫌われてるとかじゃないんだけど)しんどかった。下北沢のカフェと言えば、サブカル野郎の巣窟かと思ってたんだけど、寺山修司もナイロン100℃も知らない人たちの世界でしょんぼり。
ここで、美味しいカレーの作り方や、ケーキの焼き方、パフェの作り方、チャイの入れかたなど覚えました。
BGMは、大瀧詠一の1枚目が意外とお客さんに受けてた感じがするよ。

・世田谷区の小学校で学童のお姉さん。
小学生と遊ぶやーつをやった。一応漫画絵が描けるので、小学生女子に大絶賛されてちょっと良かったなあと思った。「実はプロなんじゃない!?」「私の考えた話描いてよ!」など。子供はだませる程度の画力!
あともう一つ、小1の女子二人組に「ねぇ、ぽぷって結構かわいいよね」ってちょう上から目線で褒められたのとかいい思い出。
子供は甘い顔してると、どんどんつけあがるからビシッとせんとな〜と思った。
それにしても、世田谷の子供たちはみんないい服着てるよ!


その後は、やっとゲームのシナリオライターでお金がもらえるようになったり、エロゲのおしごとをもらえるようになったり。
職場の合計、17個か〜。
まぁまぁあるよね…笑
色々やってみて、どこの職場行ってもだいたい、泣きながら通勤してました。
毎日「小説書きたいいやぁぁぁ!」だったよ。
基本的にストレスだからか、すぐに風邪ひくし、病弱だし。
一方、シナリオのお仕事はこの頃よりも睡眠時間短くても、全然体調壊さないしどんだけでも頑張れるので、やっぱこの道しかないと思うので、ほんと色々頑張るよ。
会社員とかOLとか、接客も、まじで向いてない。

おしまい。

**追記**

インターネット開通案内窓口の仕事はつらかったけど、クレーム対応のコツを教えて貰ったので、その後の人間関係や……恋愛のピンチにまで役立てることが出来ました。
でも、回り回って、こんな風に、プライベートで感情を抑えてクールに振る舞っても良い事はない!って思うようになったけど。
(※クレーム対応のコツは、①相手の要求を読み取る→そのために、話の論旨を捉える ②その通りのことをする (謝罪だけでいいのか、キャンセルなのか……というようなこと)
それと、経理の仕事で割と論理的思考を身につけられた(強化)出来た気がしますよ。経理で培った頭が、割とお話作りにも生きてたと思う。
みんな、経理を数字の仕事っていうけど、あれ所詮は足し算引き算くらいしかないからね!
工業簿記はかけ算とか出てくるけど。。でも、ふつーの経理は数学的な要素はすごく低い。
というか、数学だいたい30点だったわたしでも務まるんだから、数学能力はそんなに必要ないと思います。
それよりも、なんというか、不明なお金の行方を追う……探偵的な作業でした。
金額がピタッと合った時の爽快感って、多分、コナンが「犯人はおまえだー!」ってやるのと同じくらいの気持ち良さがあると思う。
経理の仕事は正解がある仕事で、その正解さえ出せば、「仕事をちゃんとやってる」ってことになるのが、自分的には凄くラクで向いてました。
一般事務の仕事は、空気を読むことが多そうで、……よく考えたら多分やったことがないけど、端で同僚の仕事っぷりを見ていて、あんな仕事無理だなーと思っていました。
そしてOL時代のわたしは、古着を着てたり、ギターの形のカバンを背負っていたり、ベレー帽でスクールガール風の格好で通勤していたりしたので、会社のおにーさん方に時々「ロックだね!」「内田裕也を超えるのはきみしかいない!」と言われたりして、とても嬉しかったのですがその反面
「ロックじゃないよ! ポップだよ!!!!」なんて思ったりもしていました。

こんどこそおしまい。多分。
(2014/11/28 19:51)


彼女の日記は此処で終わって居た。
だが僕は知って居る、この後彼女が「パソコンの先生」や「保育園の事務員」「占い師」に転職することを。
そうして占い師を1年くらい続けた後、彼女は忽然と消えて仕舞った。


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