本と育つ、本で育つ 子どもにいつ、何を読ませるか
本好きの長男は3年保育の幼稚園に入園時(4歳0か月)には、絵本を卒業して子供向けの文庫本を読み始めた。一冊目は「ちいさいモモちゃん」(松谷みよ子 講談社青い鳥文庫)。私自身はこの作品を同じく講談社のハードカバーで読んだのだが(写真のような表紙絵が当時の私には少し不気味だったので記憶が鮮明である)、本棚にしていた物入れは長男入園時には既にいっぱいになり、本の重さで棚板も歪みつつあったので、出来ればそろそろ文庫本でと思い、試しに一冊買ってみた。結果、長男は楽々と読みこなし、これを機に彼に買う本は殆どが文庫本となった。
小学校に上がると大人の文庫本を読み始め、2年生で北杜夫の著作に目覚めた。きっかけは私の所蔵していた「船乗りクプクプの冒険」と「父っちゃんは大変人」(いずれも新潮文庫)を読んだことで、続けて「楡家の人々」(同)など私の持つ北の著作を全部読んでしまうと、「北杜夫の本、図書館でぜんぶ借りてきて」と頼まれた。そこで「夜と霧の隅で」から書簡集まで、こんな本まで本当に読むのかしらと思いながら順番に借りた。彼はこれらを「全部読んだ」。内容をどこまで把握していたかはともかく、飽きることなく読み続け、一冊終わると次を借りてくれと言われて、ついには閉架書庫に眠っているような古い本まで読んだのだった。
さて、子ども向けの本にはたいてい「〇歳向け」といった目安が記されている。我が家はそれを全く無視して、本人が読めるなら、読みたいなら何でも読ませていた。私も同じく本を読む子どもであったので、母は何を読ませたら良いのか悩むことも多かったという。大学で英文学を専攻した母は、児童文学研究者である恩師に会う機会を得た時に、そのことを尋ねてみたそうだ。答えは「読みたいものを読ませれば良いです」。以来、母は迷うこともなくなり、私は心の赴くままに本を選んでは読んでいった。
だから、自分が育児をする段になっても、その点で迷いは無かった。自分自身の読書歴を振り返って、読みたいものを読むことが出来たことは幸せであったし、簡単すぎて面白くない本を読むことは苦痛であったと思うからだ。その時は意味が良く分かっていなくても構わない。子どもは分からないところは都合よく無視して読むものである。成長してから読み返して「こんな内容だったのか!」と驚くこともあるが、それが読書の良さ。いまそれを読む自分が反映されて、その時分かること、感じることがいつでもある。その発見も読書の喜びである!
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