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本と暮らす、本に暮らす 物語と映画

本の中でも物語が好きな私。それなら物語を映像化した映画も楽しいのでは?と思うのですが、実際には「映画嫌い」と言っても良いほどです。理由の一つに、光と音に敏感なため、映画を映画館で見ると頭が痛くなることがあります。幼少時からずっとで、原因に気付いてからは映画館には行っていないのですが、このために映画の印象が悪くなりました。ただ、大きな理由は別にあります。
私は物語を読んでいると、ありありとその光景が自分のなかに浮かび、映像が浮かぶと合う音楽も流れてきます(音楽はいつもではありませんが)。自分の中に物語世界を思い描くわけですが、それを形づくる要素は「言葉、映像、音楽」の三つです。このうち外部からは言葉だけがあれば十分で、あとの二つは自分で補っているのです。言葉が美しければ美しいほど、また文章が流れるようであればあるほど、その作業は容易になり、思い描く物語世界も自分が言葉から感じたままのものとなります。
一方、映画は「言葉(セリフ、ナレーション)、映像、音楽」全てを最大限に活かして監督の世界を創り出してゆく芸術だと思います。でも私には全てが満たされすぎているようです。三要素が完璧に揃っている映画は、赤毛のアンの言葉を借りて言えば、私には「there is no scope for imagination」ですし、完成された監督の世界がすごいエネルギーで迫ってきて、息苦しいように感じるのです。
ついでに他の芸術についても触れると、音楽と絵画は好きです。これらは要素がひとつなので、それ以外の二要素を自分で補うことが出来るからです。(歌詞のある音楽については別の味わい方をするので、またの機会に書けたらと思います。)
いつも現実ではない「the world next door」を探している私にとっては、自分の中に物語世界を思い描くためのインスピレーションを与えてくれるものが心地よい、ということになるようです。

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