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日本のお茶の0.02%しか存在しない釜炒り茶。

お茶を学びに、嬉野に。
茶葉を釜で炒る、釜炒り茶。

とある記事によると、
日本のお茶の0.02%@2020のみ
しか存在しない釜炒り茶。

茶葉は生きている。

茶葉のいのちを頂くために、
ひとつひとつの工程を丁寧に。
育った茶葉に感謝し、
茶葉にある旨みを最大限頂けるように。
それが唯一できるのは、
ひとつひとつを人の手で丁寧に行うこと。
オートメーション化が進んでも、
最後の最後の手間は、人間にしかできない領域。

400度の釜でお茶を蒸す。
熱い!!

初女ばあちゃんのおむすび。
嬉野の釜炒り茶。

共通するのは、
目の前の生命への感謝への表現。

手軽にお茶を楽しめる今があるのは、
必死に大陸に渡り、
日本にお茶を伝えようとした先人の行動力。

その原点を次につなげる生産者は、
嬉野に二人だけしか残っていない。
嬉野だけに二人じゃない。
日本に二人だけしか残っていない。

今ある工業化と言われているものは、
先人の知恵でつくりあげたものを、大量生産しているにすぎない。
進化という言葉で、踊らされてきたが、
結局、先人の知恵を工業化がなぞっているにすぎない。

そして、工業化製品は、
先人の知恵の大事な部分を取り残してしまっているようにも見える。
マーケティングで、ライフスタイルに最適化されているが、ズレてくる。気がする。

最初のズレは小さいかもしれないけど、
そのズレの先は、長くなればなるほど、
大きなズレになる。

工業化は後戻りできない。
ズレがあれば、立ち止まり、
簡単に後戻りできそうであるが、
大量生産の基盤による経済か成立すると、
後戻りには、大きな経済ロスが発生するため、
誰も後戻りに踏み出せない。
そして、先人の大事なピースを過去に置いたまま、
僕たちは、先に進む。

いろいろある社会の分岐点を
考えさせられた1日。

さあ、どう行動しよう?

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