見出し画像

私は実はバイセクシュアルだったりしないのか?

恋愛対象の性別について、ふと思ったことがある。

私はバイセクシュアルだったりしない?ストレート?

今のところ、過去に恋をした人も、付き合った人も全員男性だったし、ストレートだと思っている。
女性を恋愛対象として見たことはない。

けれど、それって
「女性は男性が恋愛対象で、男性は女性が恋愛対象になる」
という固定概念のある環境のもとで育ってきたからなのではないか?
と思うことがある。


私は小学校から大学まで共学で育ってきたのにも関わらず、圧倒的に友達は女性が多い。
女子校だった?って思うくらいの、割合で言うと1:9くらい。

その中でも、人生で2人だけ、「この人が男だったら」という想像のもと、「こーゆー人と付き合いたいな」「こーゆー人と結婚したいな」と思う女友達がいた。

2人はそれぞれ小学校、高校時代に出会った親友で、
社会人になった今でも仲良くしている大切な友人で、
話しているととても心地よく、尊敬できる部分があって、おだやかで、しっかりしていて、いざという時に行動力があって、私も頑張ろうと鼓舞されたり、かと思えば抜けているかわいいところがあって、好きではないことを無理に頑張らないマイペースさがあって、
とにかく互いの性格をよく知っていて飾らずにいられる(少なくとも私は)、大好きな人だ。

書いていて改めて思ったけれど、これがきっとわたしのパートナーに求める理想像だ。

だが、彼女たちへの「好き」という感情は、恋愛感情だと意識したことはない。
友人として、人として、大好きという気持ちだった。
けれど、それって固定概念に無意識のうちに当てはめてるからだったりしないだろうか?


人間の性格の形成には、親から受け継いだ遺伝子要因と、育ってきた環境要因がある、と聞いたことがあるが、

恋愛感情の形成は、私の遺伝子的なものなのか?生活してきた環境からなのか?

タイは、LGBTに対して寛容な社会だと、テレビで見たことがある。
もしタイで生まれたなら、もしかしたら同性の彼女に恋をすることがあったかもしれない。

それとも、トランスジェンダーの彼に、彼女と、恋をしていただろうか。

そんなことを、ふと考える。

自分がもしかしたらそうだったかもしれないと考えると、急に境目がなくなる気がする。
固定観念のない世界になったら、もっと自由になれるのだろうか。

私は今まで直接的に出会った人の中で、LGBTの方に出会ったことがない。
もしかしたら、いたのかもしれないし、わざわざ伝える必要のないことだったのかもしれない。
もしかしたら本人も気付いていなかったのかもしれない。
もしかしたら、受け入れられないからとはなから諦めてしまったかもしれない。

この記事を書くにあたってバイセクシュアルの反対語を調べたところ、他者に恋愛感情や性的欲求を抱かないノンセクシュアル、恋愛感情はあっても性的欲求のみ抱かないアセクシュアルというのもあるそうだ。

これにもまた、驚いた。
十人十色、色んな形があっていいなと思う。
自分のふつうは、誰かにとってはふつうじゃないんだ、
なんて、当たり前のことに気がつく。

いいなと思ったら応援しよう!