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あの頃の思い出を辿ってきた

思い出の地、桜坂。


多摩川近辺に用事があって、頑張れば歩けるなぁと思って行ってみた。

桜坂という坂の説明の看板がなくなってた。
春限定なのかな?笑

桜の季節にしか行ったことがないので、

「思い出にしていたけれど、普通の坂だな」
なんてことを思いたくて
行った節があったのだけれど、

青々とした景色もまた良くて、
当然ながら、今の季節だって、やっぱりいい坂だった。

初めて行った時と同じように、
坂の写真を撮って歩きながら、桜坂を聴いた。

失恋の曲だ…
と改めて気がつく。
伏線回収みたいで少し笑ってしまった。

初めて行った時には、私の誕生日で、
彼が予約していた予定に行けないことが決まって、どうしようかなとなっているところで、
行ってみたい!という私のリクエストに答えて連れて行ってもらうことにした。
桜のトンネルが綺麗で、坂を登り切ったところで「もう一度まわってもいい?」を繰り返すこと2回、
合計3往復もした。
そして彼はそれに文句を言わず笑いながら付き合ってくれた。

別れた後に初めて会った時には、
彼が行きたいと言って、それについて行った。

桜坂の歌詞、失恋の曲って知ってた?

この街で ずっとふたりで
無邪気すぎた約束
涙に変わる
君よずっと幸せに
風にそっと歌うよ
愛は今も 愛のままで

もう会わないと決めて、最後にLINEをした日、
彼のインスタストーリーには桜坂の写真があがっていたのを思い出した。

伏線回収みたいだ。

あの時の彼の気持ちを考えてぎゅっとした。

君の幸せを祈ってる
と最後に伝えてくれた。

一方で、
正直、わたしは彼よりも幸せになりたい
なんて思っていた。
元気で生きていてほしい、と思いつつ、
私よりいい人は見つけないで。とか思っていた。

けれど、そんな自分が嫌で、隠していた。

でも、まあ、正直なきもちだよなぁ、と
ふとそんな自分も認めてみたら、
結構楽になった。

誰のためにいい奴を演じようとしていたんだろう。
と思った。
自分を幸せに導くのは、間違いなく自分だ。


勝手に思い出の地にしていたけれど、
当たり前に、
坂には何の罪もなくて、何の関係もなくて、
好きな場所には変わりがなくて。
この場所に思いを託すのはもうやめよう
と思った。

あれから、髪の毛を切った。
親知らずを抜いた。
実家を出ることに決めた。
気になっていた人に会いに行った。

そうやって何かを変えると、
迷っていたことをやってみると、
なかなかいいじゃん、と思える自分に出会える。

ああ、何でこんなことで悩んでいたんだろうか、
なんて思うこともある。
時間が解決することって、往々にしてある。


たぶん、これは執着だなと思った。

着心地が気に入っていた服を、一度ゴミ箱に捨てて、捨てる時になって、まだ着たいかも、なんて思って、て手元に残してみる

それに似た、ただの、執着だ。と思う。
思い出も、彼という存在も。

どこかで、
思い出さない
腹黒くないクリーンな自分でいる
そんなことを無意識に選びながらやり過ごそうとしていたけれど、
しこりが残ったままだときっとまた思い出してしまうんだろう。

それならば、
思い出す手間もかけなくていいくらい、どこかに記録して、
思い出さなくても置いておけるように、
自分らしく在れるように。ここに記録して。

そうやって、前に進んでいこう。


坂の上から振り返る。

前の記事では強がって幸せを祈ってみたけれど、
私が心から彼に伝えられることは
幸せを祈る言葉じゃなく、
「感謝」だ。

素敵な思い出を
色々な感情を
愛おしさも
優しさも
経験も
愛も
たくさん、
ありがとう。

そういえば、坂の途中で綺麗な紫陽花を見つけた。

紫陽花の花言葉は

『移り気』『浮気』『変節』
『和気あいあい』『家族』『団欒』

青い紫陽花は
『冷淡』『無情』『辛抱強い愛情』

ピンクの紫陽花は
『元気な女性』『強い愛情』

なんとなく、自分に重ねてみたりして。

でも、花言葉が多すぎて
なんでもありじゃん、
と突っ込んでみたりもした。


捉えようによっては見え方が変わる。
人生って楽しいな〜と思えたもん勝ちだな
なんてことをやっと思い出した。

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