「たやすみなさい」とわたし
ある日、めまいに襲われた。
いろんな治療をしてみたけれど、めまいはなかなか消えてはくれなかった。
そして、眠ることがたやすいことではなくなった。
めまいで天井はまわっていて、まわっていなくても世界はふわふわして、
吐き気がつきまとってくるから。
ひとりっきりの真っ暗な部屋で、めまいのせいでスマホも見られず、寝返りをすることすらしんどいときにすがったのが、岡野さんの短歌だった。
あのころのわたしにとって、「たやすみなさい」は夜を生き抜くための大切なお守りになった。
本当に明日がくるのか、明日がきてもその明日をわたしはどう生きればいいのか。すっかり変わってしまった自分の体と世界に困惑するわたしの背中を「たやすみなさい」はいつもさすってくれた。
どうかどうか、たやすく眠れますように。
具合が悪くて眠れなくなったときも、
ほんの少し明日が怖くなって眠れなくなったときも、
「たやすみ」と頭の中で短歌を何度も何度も唱えた。
「たやすみ」とつぶやいてこえた夜の数が数えられなくなったころ、
春がやってきた。
桜が咲いていた。
空がどこまでも青かった。
隣には大好きな友だちがいた。
めまいが治ったわけではないけれど、
元の体に戻ることはきっともうないのかもしれないけれど、
どんな夜も生き抜けばいつかはまた春にたどり着く。
「たやすみなさい」が連れてきてくれた春はそんなことを教えてくれた春になった。
たやすく眠れない夜が次の春までに何回あるのかなんてわからないけれど、
この春を知ったわたしなら、
「たやすみなさい」と一緒なら、
また春にたどり着けるかもしれない。
きっときっと、大丈夫。
どうか今日のわたしも、次の春のわたしも、たやすく眠れますように。
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