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常盤平にルーツを持つ人々が、街の多様な可能性を育む。ときわ平まちの人インタビュ−vol.4 宮浦晋哉さん(株式会社糸編 代表取締役)

常盤平の街で暮らし、働く人々にインタビューを行い、これからの常盤平の街の変化の兆しを探るインタビュー「ときわ平まちの人インタビュー」。

今回はこれまでとは少し変わって、「かつて常盤平に住んでいた方」と一緒に常盤平の街を巡り、その変化や今後について考えていきます。

ご登場いただいたのは、宮浦晋哉さん(株式会社糸編 代表取締役)。
素材や技術とデザイナーを結びつける役割を担い、繊維産業・テキスタイルについて体系的に学ぶスクール「産地の学校(*1)」や日本のテキスタイルの魅力を発信する展示やオンラインストアを展開するプロジェクト「TEXTILE JAPAN(*2)」などを手掛けられています。
また、東京・月島で築90年の古民家を改装しテキスタイルの展示やおでんやさんなどを行うコミュニティスペース「セコリ荘(*3)」を運営されていました。

宮浦晋哉さん。かつて住んでいた団地のすぐ近くにて。

そんな宮浦さんは、小学校中学年まで常盤平で過ごしていたそう。「小学3,4年生ぶり」という宮浦さんと一緒に常盤平の街を歩きながら、当時の面影や、今後の可能性を探しました。


11月のとある日、新京成線常盤平駅に集合した宮浦さんとインタビューチーム。「子どもの頃以来だから、どのくらい覚えてるかな・・」と少し不安そうな宮浦さんとともに、まずはときわ平ボウリングセンターへ向かいます。

ボウリングセンターの中は、朝から熱心に競技に取り組む方々がたくさんいました。その様子に、「こんなに人が集まるんですね」と宮浦さんも驚き気味。

その後は名前を覚えていたという金ケ作公園に向かいます。金ケ作公園は団地に囲まれた、野球広場やテニス場などを要する総合公園。訪れたのが平日の日中ということもあって、広ーい野球広場はほぼ貸し切り状態。

広ーい金ケ作公園。野球用のスペースが何と2面取れます。

宮浦さんは、「都内に住んでいると、子どもをこんなに広い場所で遊ばせることも難しいことが多いので、この環境はすごくいいですね」と話します。

その後、一行は五香方面にある団地へ。「思い出してきました!」という力強い言葉とともに、宮浦さんの足取りがだんだん早くなっていきます。

「このあたりも見覚えがあります!」と宮浦さん。
だんだん宮浦さんにインタビューチームがついていく形に

商店街や通り沿いのお店を見かけると、「このお店、昔お菓子屋さんで来ていた記憶があります!お店自体は変わっちゃってるけど、外観は変わらないですね、懐かしい。団地の建物も全然変わらないです。」と宮浦さん。

そしてなんと、宮浦さんがかつて住んでいたという建物も見つかりました!

「すぐ近くにあった公園で、地元の人みんなでカレーパーティーをやったり、夏祭りをしたことも思い出しました。必ず参加していたんですよ!地元のソフトボールチームに入っていて、親も含めて地域の人たちと繋がっていたことも思い出しました。これだけ年数が経っても街の様子が変わっていないというのは、本当にすごいですね。」(宮浦さん)


地域との繋がりが住みやすさを生む

街を回った後、場所を変え、改めて宮浦さんにインタビューを行いました。

−今日常盤平の街を回ってみて、いかがでしたか。

宮浦晋哉さん(以下宮浦):最初は色々と思い出せるのか不安だったんですが、すごくいい時間でしたね。

−街の様子に変化は感じられましたか?

宮浦:いや、変わっていないなという印象の方が大きかったです。建物や道などのハードの様子は変わらないまま、店などのソフトが変わっている感じ。

実は街を回りながら両親と連絡を取り合っていたんですけど、街の写真を送ったら、「このお店で高校生の時アルバイトしてた」って言われたんです。そのくらい長いスパンで景色が変わっていないということですよね。
自分が今住んでいる東京の月島は本当にすごいスピードで変化しているので、この「変わらなさ」みたいなものは、ある意味ポテンシャルなんじゃないかなと思います。

インタビューは、昔から常盤平の人々が集まる喫茶店「珈琲園」にて。
このお店もまるで時が止まっているかのようなレトロさが人気です。

−確かに月島とは対照的ですよね。月島には、どんなきっかけで住むことに?

宮浦:当時、古民家一棟を破格の値段で貸してもらえるという話になって。空き家になっていた古民家を見せてもらって、まるで時代から取り残されているような雰囲気がすごく良かったんです。

−そこからずっと月島に住み続けられていて、その魅力というか、ポイントはどんなところにあるんでしょうか。
個人的に、東京の下町である月島と常盤平には、どこか共通するものもあるような気がしているのですが。

宮浦:それはあると思いますね。月島はエリアとしては都心ですが、世代問わず、近所の方とすごく挨拶するんですよ。柿がたくさん届いたからみんなにお裾分けするとか、そういうことも日常的に起こっていますね。

でも、引っ越した当初からそうだったわけではなくて。あまり地域の方との繋がりがなかったところから、徐々に時間が経って、今は子どもに近所の方が服を買ってきてくれたりするような間柄になりましたね。

−どんなきっかけで変化したんでしょう?

宮浦:町内会に入ったり、地域のお祭りや餅つきに参加したりということを、少しずつ積み重ねてきたことが大きいと思います。そういう場に一緒にいることで、だんだんと人となりがお互いにわかってきたのかなと。

−今の若い人は、地域のコミュニティや町内会などの繋がりに入っていない人も多いですし、逆に興味があっても足を踏み出せない人もいると思います。そうした中で、宮浦さんが関わりを持ち始めた理由やきっかけはなんだったんでしょうか。

宮浦:もしかしたら、常盤平での生活も影響しているかもしれないですね。当時は地域の公園でお祭りをしたり、ちょっとした集まりもたくさんあったんですよ。だから月島でも、そういう地域のお祭りとかコミュニティって楽しそうだなって思っていました。

やっぱりその街に昔から住んでいる知り合いがいると、安心感があるんですよね。時間をかけて繋がりが育ってきて、今は皆さんに受け入れられているという感覚がある。それが住みやすさになっているのではないかなと思います。

先日開催した「ときわ平やってみようマーケット」には昔から住んでいるという方も足を運んでくださいました。こうした場が地域と繋がる第一歩になるかもしれません。

−街や地域の人同士の繋がりや、これまで紡いできた街の歴史や景色を残していく上で、どんなことを大切にしていくと良いと思いますか?

宮浦:どんなものやことも「全く変わらない」というのは難しいですよね。こんなに変わらないと感じる常盤平の街も、住んでいる人やお店自体は変わっていますし。
その上で考えると、住んでいる人の思いや街の象徴となる場所を大切にすること、それから思いの部分だけでなく、「ここは経済的なポイントになりそう」というところも伸ばしていくことが大事になるんじゃないかなと思いますね。

ポテンシャルに溢れる街、常盤平

−ここからは、常盤平の街の未来についてお聞きしていきたいのですが、何かこういうことがやれたら面白いのではというアイデアってありますか?

宮浦:例えば、団地を一棟丸々会社で借り上げて事務所兼社宅、みたいな場所ができたら面白そうですよね。プライベートとパブリックが少し曖昧な、みんなでシェアできるスペースというか。

−常盤平団地の中には「スターハウス」と呼ばれる、全部屋角部屋の建物があります。今はもう珍しいものなのだそうですが、常盤平団地の中には8棟くらいあって、全て今も現役なんです。そこを1棟丸々借りて、クリエイターが住むみたいなことができたら面白そうだなと勝手に思っています。(笑)

宮浦:一つの会社だけじゃなくて、複数の会社やコミュニティで協力して作れたら、より面白い人が常盤平にどんどん流入してきますよね。

それに空港からそんなに遠くない立地ということもメリットですね。自分も全国への出張が多いのでありがたいですし、地方から来た人の滞在拠点としても良さそう。

宮浦:あと、自分が関わっている繊維産業の視点からみると、物流関係の取り組みの可能性もありそうだなと思います。実は千葉って、都心からの立地的に物流拠点として適しているんですよ。単純に倉庫だけでなく、服飾も含めた文化拠点として整えられると面白そうですね。

それから、様々な人が暮らしている街でもあるので、実証実験の場として考えることもできそうです。街に公園がたくさんあるので、遊具の実証実験をしてみるとか。街全体の管理や運営のコスト低下にも繋がって、街自体をもっとよくする取り組みに還元していけるかもしれないですしね。

−アイデアがどんどん出てきますね・・!そういう”場”や仕掛けがあれば、人がきてくれるポテンシャルはあるということなんですね。

宮浦:そうそう。改めてこの環境は素晴らしいと思いますよ。公園も道も広くて、子育て世代にはとてもありがたいですし、街全体の雰囲気もすごくいいですよね。

なので、常盤平の暮らしの魅力を発信できたら面白そうだなと思って。生活スタイルとか、街の雰囲気が伝わる動画コンテンツやミニドラマみたいなものを作って発信したら、これまで知らなかった人にも届くきっかけになりそうですね。

−そうやって面白い場所が生まれていった時に、街の中にどんな方がいたらいいと思いますか?

宮浦:引っ越した時に困ることって、街の中にどんなお店や場所があるのかわからないということだと思うんですね。なので、コンシェルジュ的な、案内所のようなところがあったらいいんじゃないかなと思います。あとは、移住した人たち同士でも情報交換できるようなイベントがあると、より住みやすさに繋がっていくんじゃないかなと思いますね。

常盤平にルーツを持つ人々が、未来の可能性をもたらす

−常盤平の街の今後の可能性について色々とお聞きしてきましたが、宮浦さんご自身は、これからどんなことをやりたいと考えていらっしゃいますか。

宮浦:6,7年前くらいに会社を設立して、繊維産業やファッションに対して、様々な取り組みを行ってきました。これからは、よりグローバルに発信していきたいと思っています。そのために、もっと僕自身が色々な地域を回って魅力を知っていきたいなと。

仕事で産地に行くと、この辺りは昔はこうだったとか、こんな技術があってね、っていうお話を聞くんですが、その中で、自分のアイデンティティってなんだろうって感じることもあったんですね。自分の”ストーリー”みたいなものって何なんだろうって。
思い返すと、やっぱりここ、松戸や柏にその根っこがあるんじゃないかなと。なので将来的には地元で何かやりたいなっていうのはずっと思っています。色々な人が関わることで、ボトムアップ的に作られていく街になったら面白いなと思いますね。

−宮浦さんをはじめ、出身者の人が各地にいることって、その街の一つの強みですよね。その縁がどうつながっていくかということが、街の次の一歩に繋がっていくのかもしれないなと思いました。

宮浦:色々な人にとっての”ルーツ”を作りたいですね。「ちょっとだけだけど住んでたことがあるよ」とか「遊びに行ったよ」っていう、未来の関わりのきっかけになるもの。僕自身、ずっとこの街にいたわけではないけど、やっぱり”原点”という感覚があるので。

−今日常盤平にきてもらえたことが、私たちもすごく嬉しかったです。こうやって様々な関係性をつくれる人が周りに増えていってくれたらいいなと思いますね。


かつて常盤平の街に暮らしていた、いわば街の”OB”と一緒に常盤平を歩いた今回のインタビュー。

インタビュー中、宮浦さんからは本当に様々なアイデアが次から次へと出てくる、出てくる!「こんなに常盤平の街って色々な可能性があったんだ・・」と、普段常盤平の街で生活や仕事をする私たちが気づいていなかったポテンシャルがたくさん見えてきました。

ただ、これらはまだまだ可能性のタネ。これらをどう育んでいくのかは、これからの私たちや、街の人々に委ねられています。

そう言葉にすると重みがあるかもしれないけれど、動画や写真などのコンテンツで発信したり、様々な人との対話を重ねながら、まずは少しずつでも育んでいくことが大切なのではないでしょうか。

また、今回気づくことができた、広大なベットタウンとしての歴史を辿ってきたからこそ、たくさんの人々の中に眠っている「ルーツ」としての常盤平の可能性。そうした人々の関係性を紡いでいく中でも、様々なアイデアが形になっていきそうです。

そしてそれは街にとって、とても豊かな財産であることは間違いありません。

常盤平の街の未来の兆しを探すインタビューは続きます。どうぞお楽しみに。

*1 産地の学校:繊維産業・テキスタイルについて体系的に学ぶ場として、2017年5月にスタート。東京でのプログラムの他、産地で開催するコースも行われている。
http://sanchinogacco.com/

*2 TEXTILE JAPAN:日本のテキスタイルの魅力を発信する多面的プラットフォームを目指し、ショールームや各工場・プロジェクトを紹介するマップなど、様々なプロジェクトを展開している。
https://textile-japan.com/

*3 セコリ荘:東京の下町、月島にある築90年の古民家を半年かけて改装してできたコミュニティスペース。「衣」「食」「住」にまつわる様々なイベントなどを開催していたが、2022年に惜しまれながら幕を閉じた。
https://secorisou.com/

(文章・写真 原田恵)


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