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緩やかな集いの真ん中にあるキッチンカー−ときわ平まちのひとインタビュー vol.3 「喫茶ニューフジコ」大塚千枝さん・「猫夫人」馬田かすみさん

オレンジと黄色のストライプのタープ。コロンとした茶色の車体。遠くからでもはっきりとわかる看板の「フジコ」の文字。
こんなキッチンカーを見かけたら、紛れもなく「喫茶ニューフジコ」が開店中。

「喫茶ニューフジコ」は、大塚千枝さんが店主を務める、2021年に始まったキッチンカー中心の移動喫茶。ちょっと懐かしい雰囲気ただよう車体や看板から感じられる通り、メニューもコーヒーのほか、「昭和かためのプリン」や「なんてことない母の味 玉子サンド」、クリームソーダなど、昭和レトロさが満点です。

この日常連さんが頼んでいたのは、ホイップクリームがたっぷりのったあまーいホットココア

「喫茶ニューフジコ」が出店する場所には、緩やかに様々な人が集まってきます。SNSで情報をキャッチしてやってくる常連さん、たまたま見かけて気になって買いにきたご近所さん。三々五々集まっては、それぞれのペースで時間を過ごします。

そんな場を作っている大塚さんに、ご自身の活動から、常盤平のまちについてをお聞きしました。今回は、共に「猫夫人(マダムニャン)」という活動を行う馬田かすみさんも参加。実はこのお二人、これからこのプロジェクトでも活躍の予定・・?ぜひ、インタビュー内でお楽しみください。

高校生からの夢だった「純喫茶」

−大塚さんと私が初めてお会いしたのは、せんぱく工舎(*1)に入居して、靴下屋さんをやっていらっしゃった頃ですよね。そこから喫茶店を始められた時には、「大塚さんってなんでもできるんだ・・」って驚いた記憶があります。

「喫茶ニューフジコ」店主の大塚千枝さん

大塚千枝さん(以下大塚):そうそう。実はせんぱくに入居していたときからカフェはやりたかったんです。でも、まだ子どもが小さかったので毎日は営業できないなって思っていて。なので当時はせんぱく工舎の1階に入居している「星子スコーン(*2)」さんで1日限定のカフェをやったりしていました。

−そこからどうしてキッチンカーに?

大塚:コロナ禍の頃、飲食店が営業するひとつの方法として、キッチンカーがすごく増えたんです。そこで私も「家庭と両立して都合の良い時間に営業出来る」って気がついて。ちょうど国から補助金が出た時期でもあったので、それを使ってやりたかったことに挑戦しようと思って、キッチンカーを始めることにしました。

−始めることには不安はありませんでしたか?

大塚:「ニューフジコ」は「STAG」さん(*3)と「青山ゆういち」さん(*4)という2人のデザイナーさんに主にデザインをお願いしました。この2人に関わってもらったら絶対にいいものができるだろうっていう安心感があったんです。
実際に始めてみて、お二人のデザインが軸になってできたこの「ニューフジコ」の雰囲気が好きというお客さんが多く来てくださっているなと感じています。2人にはとても感謝していますね。

−キッチンカーが完成して、最初はどちらに出店されたのですか?

大塚:まさにここ、ときわ平ボウリングセンターです。まだキッチンカーが完成する前に、本田式さん(*5)っていう、街の助っ人的な存在の方が、ときボウの石川さん(vol.1に登場いただいた石川文秀さん)に交渉して決めてくれました。

−ここの他にはどんな場所に出店されているんですか?

大塚さん:常盤平では、他に熊野神社にも出店しています。あとは五香や六高台などにも。靴下屋さん時代の知り合いや、他のキッチンカーの方からの紹介が多いですね。

熊野神社での出店風景。この日はクレープのキッチンカーのモクメウマさんとの共同出店。

−ひとの縁でどんどん「ニューフジコ」が広がっていったんですね。そして2022年には実店舗もオープンしました。

大塚さん:元々は、仕込みをする場所をつくりたいと思って色々探していたんです。そのタイミングで、ちょうど以前雑貨屋さんをやっていたという物件に出会って、以前のお店も知っていたこともあってお借りすることを決めました。結構広い物件だったので、座席も配置して、実店舗としての営業をスタートしましたね。

−そこはどんなお店だったんですか?

大塚さん:店内は純喫茶をイメージした家具や雑貨をおいて、プリンアラモードやオムライスなど、キッチンカーでは難しいメニューも実店舗限定で提供しました。純喫茶のメニューが好きという方が多く来てくれましたね。

以前の実店舗の様子。
*現在こちらの店舗は閉店しています。写真は「ニューフジコ」インスタグラムより許可を得てお借りしています。

−そもそも大塚さんが純喫茶をコンセプトにしたきっかけって、どんなことだったんでしょう。

大塚さん:高校生の時、小さな喫茶店でバイトしてコーヒーを淹れていました。その時に、「将来、喫茶店がやれたら良いな」って思って。なかなか褒めることがなかった父が、料理を褒めてくれたこともあって、料理やお菓子作りも当時から大好きだったんです。
まさか本当に自分がお店を持つことになるとは、想像もつかなかったですけどね。

−こうしてキッチンカーや実店舗を構えて、大塚さんの長年の夢が叶ったんですね。

大塚さん:実店舗を持った時は、「やっとお店が持てた!」って本当に嬉しかったなあ。でも実店舗をやることで、キッチンカーで自分から色々なところに出向くことの良さにも気づいたんです。
それで、実店舗は稔台という常盤平のお隣のエリアに移転して、少しこじんまりしたスペースでやることにしました。引き続きキッチンカーで色々な場所を回りつつ、自分がやりたいことを実現していくスペースにできたら良いなと思っています。

緩やかに人々が集う場の基点

−ここからは、「猫夫人(マダムニャン)」というユニットでご一緒されている馬田かすみさんにもお入りいただきながら、常盤平のまちとの関わりについて少しお伺いできたらと思っています。お二人は、常盤平の街にどんな印象がありますか?

大塚:ちょっと古びたというか、懐かしい雰囲気がありますよね。「トッパー」や「珈琲園」などの昔ながらの喫茶店や、いつからやっているんだろうって感じさせるちょっと変わったおもちゃ屋さんとか。”昭和”の雰囲気がありますよね。ちょっと流れている時間のスピードが違うというか、良い意味で時が止まっている感じ。

左が「猫夫人」お茶担当の馬田かすみさん

馬田かすみさん(以下馬田):私は普段あまり常盤平に来ることが多くはないので、なかなか街の印象というのが難しいんですけど・・・。どんな方が多いのかな。

大塚:やっぱり、ちょっと年配の方が多いですよね。ここに出店していると、ボウリングに行き帰りする方をよく見かけます。

−常盤平で出店している時にはどんな方が来られますか?

大塚:ときボウに出店している時は、SNSをみて来てくれた方や、常連さんが多いですね。ここでは私も余裕があることが多いので、私や他のお客さんたちとおしゃべりしたり、そういった時間を楽しみたい方が来てくれています。熊野神社の時は、親子連れの方とか、近所に住んでいて気になってきた、という方もいらっしゃるかな。
常盤平って全体的に物価が安いみたいで、チェーン店のようなところを利用される方も多いとは聞いたことがありますね。

馬田:個人のお店が、街や街の人との関わりを作っていくというところには色々な難しさもありますよね。個人のお店として継続できることが一番大事だから、できることにも限界がありますし。
街のためにということを考えたり、そういった視点を取り入れていくためには、行政やもっと大きい組織が入ることができると良いのかなと思います。それは常盤平だけではなくて、どの街でも同じなんじゃないかな。

馬田:あと、街の中にお金を使わず、気を使わないで人が溜まれる場所がなくなってしまってますよね。公園で中高生が集まっていたら通報されてしまったっていう話も聞くし。

−常盤平の街の中にはよくベンチが置いてあるんですけど、そこで年配の方同士が集まっておしゃべりして過ごしているのを時々見かけますね。
ここでは、さっき常連さんを中心に皆さんが集まってのんびり過ごしていましたよね。そうした、ただ目的もなく人が集まれる、溜まれる場って良いなと改めて感じました。

馬田:そうそう、お金とか関係なく、みんなでいられる場所というかね。気付いたらなんとなく集まっていて、なんだったら特に用事がないけどいる人もいる、みたいな。(笑)そういう空間や雰囲気って大事だよね。

大塚:そういうところから生まれるアイデアもありますよね。「なんかよくわかんないけど、それ面白そうだからやる?」って誰かがいったら「あ、それできるよ」って別の誰かが言って、気付いたら実現しているみたいな。みんながマイアイデアを持ち寄れる場所。

−そういう場所の中心に、ニューフジコがあるんですね。

大塚:「こういう雰囲気っていいよね」っていう緩やかな集まりをつくりやすいのかもしれないですね。私自身、人に話しかけるのがすごく得意というわけではないんだけど、このキッチンカーがあると、「ニューフジコの人」として安心してその場にいられる。キッチンカーが色々な基点になっている感じがしますね。

常盤平はニューフジコの「始まりの村」

−さて、お二人のこれからのお話も聞かせていただけますか。

馬田:私は、今は中国茶の企画をメインでやっています。個人で茶葉を仕入れたり、今後は販売もしていこうと思っていて。お茶って、だいたいカフェとかでも紅茶しかないと思うんですけど、そこに選択肢を作りたいなと思っているんです。茶葉も、私がメインで扱っているものは少し割高ではあるけど、国産ウーロン茶はそんなに高くなかったりもするし、色々な種類があるんですよね。

−なるほど。そこから広がった活動が「猫夫人(マダムニャン)」でしょうか?

馬田:「猫夫人(マダムニャン)」は私がお茶担当、大塚さんが料理担当のユニットで、今は月に1回、八柱の「One Table」という曜日で店主が変わるカフェで出店したり、イベントを主宰したりしています。だんだん活動が広がってきてますね。

お二人のユニット「猫夫人」では中国茶と飲茶などのメニューが楽しめます。
*写真は「猫夫人」インスタグラムより許可を得てお借りしています。

−12/9に常盤平でマーケットイベントを開催する(注:取材時点)んですが、そこでも出店してくださるんですよね。

馬田:そうですね。茶葉の販売以外にちょっと試飲もできたりしたら良いかなと思っています。

−実は今後、お二人にはこのときわ平プロジェクトにも関わっていただく予定になっていて。お二人と一緒にまちの人が集まる場をつくって、お話を聞いていくという。そちらも楽しみにしています。

大塚:私は、常盤平には今後何があっても出店し続けようと思っていますよ。ここはニューフジコの「始まりの村」なので。

−「始まりの村」?

大塚:そう。ニューフジコはここから始まったので「始まりの村」と呼んでいます。(笑)熊野神社やここなどのキッチンカーの出店だけじゃなく、ときボウの中にニューフジコの自動販売機も置かせてもらったりしていて、ときボウの石川さんには本当によくしていただいてるんです。私にとって、常盤平といえば石川さん。これからどんな風に活動が広がっていっても、ここはずっと大事にしていきたいなと思っています。


常盤平を”始まりの村”として、様々な活動が広がっていた「喫茶ニューフジコ」。その背景には活動を応援してくれる街のオーナーさんや、周囲のクリエイターの方々の存在がありました。

そして、「喫茶ニューフジコ」自身が中心となって生み出している人々が緩やかに集まり、時間を過ごすことができる環境が、また新たなアイデアや人々の繋がりを創出していると感じます。
そうした繋がりが、常盤平の街自体の変化に繋がっていく日も、そう遠くないかもしれません。

これからも常盤平のまちの未来の兆しを探すインタビューは続きます。どうぞお楽しみに。

*1 せんぱく工舎 昭和35年に建てられた神戸船舶装備株式会社の社宅を改装したクリエイティブ・スペース。omusubi不動産が運営しており、1階は地域に開かれたショップやカフェ、バルとして、2階はアーティストや作家さんのアトリエなどに使われている。
ホームページ https://senpaku-kousya.com/
 
*2 星子スコーン タロットとスコーンのお店。せんぱく工舎1階で、発酵バターと北海道の小麦、アルミニウムフリーのスコーンを販売している。
Instagram https://www.instagram.com/hoshikoscone_info/?hl=ja
(カフェは2024年1月末で閉店予定)

*3    STAG omusubi不動産の運営物件のひとつである「buildingC」に事務所を構えるデザイン設計事務所。
Instagram https://www.instagram.com/stagtokyo/

*4 青山ゆういち 児童書や参考書などを中心に活躍するフリーイラストレーター。
ホームページ https://yuichiaoyama.tumblr.com/

*5 本田式 「助っ人稼業 本田式」としてハウスクリーニングやスポットでの制作やイベント販売のお手伝いなどを行っている。
Instagram https://www.instagram.com/honda_shiki/

取材協力
喫茶ニューフジコ
X https://twitter.com/fujicoffee2016
Instagram https://www.instagram.com/fujicoffee2016/

猫夫人(マダムニャン)
Instagram https://www.instagram.com/madame_nyan/

(文章・写真(インスタグラム提供写真以外):原田恵)

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