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アーティストの付き人経験の思い出
僕は、20代の頃、プロの作曲家を目指していた。
いや、厳密には夢見ていた。
今にして思えば、「なれる」と真剣に思っていなかったのだから、なれるわけがないが、それでも当時は夢を叶えるために必死にもがいていた。
当時は、YouTubeもSpotifyもなかった。
あるはずがない。
そもそも、まだインターネットがなかった。
すなわち、プロになるためには売り込みしか手段がなかった。
しかし、地方の一青年がなにをどうやってどこに売り込めばいいのかもわからずに、大学時代とサラリーマン時代に約7年ほど曲を作り続けていたが、ひょんなことから
とあるアーティストの付き人をすれば、そのアーティストが曲を聴いてくれる
↓
そのアーティストが曲を気に入れば、とある団体を紹介してくれる
↓
その団体で認められれば、作曲家登録される(すなわち、プロになれる)
↓
曲が欲しいというシンガーや芸能事務所が現れれば、僕の曲がCDになる
という、風が吹けば桶屋が儲かるみたいなとてつもなく確率の低い話が舞い込んできた。
しかし、1%でも可能性があるのなら、やらなければ後悔をする。
それに、幸か不幸か、当時の僕は脱サラして起業をしたものの、仕事はほとんどなく、自由だけはたっぷりあった(なかったのは金である)。
となれば、やらない手はない。
こうして僕は、上京して友達のアパートに厄介になりつつ、とあるアーティストの付き人をすることになった。
契約期間は約2ヵ月だったと記憶している。
マネージャーではなく、さらにその下、要するに最底辺のポジションなので、僕に与えられた主な仕事は2つ。
マネージャーの手伝いとアーティストの慰労であった。
「アーティストの慰労」と言っても、北朝鮮の「喜び組」のようなことではもちろんなく、一言で言ってしまえば「お茶汲み」である。
ちなみに、「マネージャーの手伝い」は、「荷物運び」のことだ。
荷物運びはともかく、お茶汲みなんて、なんともラクな仕事だと多くの人が思うだろう。
その「仕事」の話に入る前に一つ補足しておくと、僕は無報酬であった。
仕事の対価はただ1つ。
そのアーティストに、契約終了後に自作曲を1曲だけ聴いて評価していただき、場合によっては推薦してもらうことができるという「特典」のみである。
さて、話を戻して「お茶汲み」であるが、これがラクどころか非常にきつかった。
もう、人生で二度と「お茶汲み」はやりたくないと今でも思っている。
きついのは体ではない。
精神だ。
当時、アルバム制作に入っていたアーティストは、スタジオでリハーサルをしたり、打ち合わせをしたりするのだが、いつ、それが終わるのかがわからない。
もちろん、終わったのを確認して、お茶とホットコーヒーを用意して、その時の気分で好きなほうを飲んでいただければ、これほど「ラクな仕事」はないだろう。
しかし、アーティストはとても優しい方だったが、飲み物の温度にだけは相応の執着心を持っていた。
ちなみに、味に関しては無頓着で、元々はインスタントコーヒーを飲んでいたが、僕が静岡名産の日本茶を持参したところ、「お茶もいいな」という話になり、飲み物が2種類に増えてしまった。
それはさておき、アーティストが好んでいたのは、ほんの少しだけ冷めたコーヒーか日本茶であった。
感覚的に言うと、ポットから淹れて5分程度冷ましたものだ。
だが、僕にはアーティストがいつ休憩時間に入るのかがわからない。
リハーサルにせよ打ち合わせにせよ、一度スタジオに入ったら最低1時間は出てこないことはすぐにわかったが、言い換えれば、そこから先はまったく読めない。
1時間で休憩に入ることもあれば、3時間後のこともある。
ただ、3時間は稀なケースで、大抵は1時間から2時間の間であった。
そこで僕は、1時間経過したらコーヒーとお茶を準備した。
どちらを飲むのかわからないので、2種類準備する。
そして、5分ほど経過したら、すぐさまそれらを捨てて、再びコーヒーとお茶を準備する。
これを、アーティストがスタジオから出てくるまで繰り返す。
結果、捨てて淹れ直した直後は胃が痙攣する思いであった。
そのタイミングでアーティストがスタジオから出て来て、「熱いな、これ」と言われた瞬間に「おしまい」の可能性もあるからだ。
とにかく、アーティストに「美味い」と言ってもらうのが僕の「仕事」であった。
もちろん、最初からポットの温度をアーティスト好みに設定すれば良いのだが、アーティストよりもさらに上の立場の事務所のお偉いさんやレコード会社のお偉いさんはアツアツのものを好むので、ポットの温度は98℃程度という決まりがあったように記憶しているが、ここは正直、よく覚えていない。
それよりも、お偉いさんの事情は単なる建前であった。
現場には、「ポットの温度をあらかじめ設定してラクをしてはいけない」という無言の圧力があったのだ。
要するに、「曲を聴いてもらいたかったら、それに見合った苦労をしろ」という、今にして思うと極めて理不尽な理屈を押し付けられていた。
一言で片づけるならば、「陰湿ないじめ」である。
蛇足だが、僕の小説『恋することのもどかしさ』の中で、母親が主人公である息子に「理不尽に耐える忍耐力をつけろ」と諭すシーンがあるが、このセリフは当時のことを思い出したらふと浮かんだものだ。
さて、話を戻すが、その結果、アーティストがスタジオに入って1時間経過してから、アーティストがスタジオから出てくるまでの時間は、常に緊張との戦いであった。
こんな経験をしながら約束の2ヵ月が経過した。
僕の「お茶汲み」という付き人業務も終了し、いよいよ、1曲だけ僕の自作曲を聴いていただける日が来たのだ。
僕は、自作曲自体は200曲ほどあったが、実際に録音したのは半分以下の70~80曲程度。
そして、40曲ほどが作詞が面倒だったために適当な英語詩で録音していたので、実質聴いていただける曲は30曲程度だったが、悩みに悩んで、その中からある1曲に絞り込んだ。
それが 『Hey! My Dear!』 だった。
さて、肝心のアーティストの反応だが、概ね次のようなことを言われた。
いい曲だね。
プロの作曲家としてやっていけると思うよ。
実際、この曲をアイドルが歌っていても不思議はないし。
だけど、詩は惹かれないな。
それよりも、「光るもの」を感じない。
いや、磨けばもっと光るのかもしれないけど、今の時点では、君くらいの才能、日本に1万人はいるよ。
あとは「運」。
1万分の1の宝くじを握りしめてチャレンジするのも君の自由。
まだ若いんだから、まっとうな職に就くのも君の自由。
宝くじを買いたいんだったら、しかるべき人を紹介するよ。
アーティストの言葉は、当時の僕には「不合格」も同然であった。
そもそも僕は、20代で脱サラなど「根性のない社会不適合者」と言われていた時代に、怒り狂う父親、泣く母親に、「自分の会社を大きくしてみせる」となだめ倒して脱サラが許された身だ。
そんな僕が、「1万分の1の宝くじ」にすがって東京で生きていくという選択肢など、とてもではないが選べなかった。
それに、ご紹介いただいたあとに「やっぱりやめます」では、アーティストにご迷惑をおかけし、恥をかかせてしまう。
また、結局結婚はしなかったが、結婚を前提とした彼女もいた。
ただ、今にして思うと、やると決めたらとことんやる僕が、いともあっさり夢を捨てたのは、「お茶汲み」でメンタルがすり減って、もはやエネルギーが残っていなかったからではないかと感じることもある。
実際、「こんな下積みを今後も積むのなら、別にプロになれなくてもいいかな」という気持ちが芽生えていたのも事実だ。
いずれにしても、夢を叶えるのがいかに大変なことかが理解できた、とても貴重な約2ヵ月の体験であったことは間違いない。
だからこそ、ITライターを目指したときには、あれだけの地獄を見ても諦めずに、その結果として今の僕、「大村篤」ではなく「大村あつし」がいることだけは決して忘れることはないだろう。
やはり、人生に無駄な経験などない。
【マルチナ、永遠のAI。】
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