愛する恩人との別れ
「この人」がいなかったら今の自分はない。
そんな「恩人」を持つ人は少なくないであろう。
かく言う、僕もその一人である。
時計の針を僕が中学入学直後に巻き戻す。
当時、僕は大いに苦悩していた。
ビートルズというもっとも偉大かつ崇高な音楽に出会った僕は、来る日も来る日もある思いに捕らわれていた。
「俺も、ビートルズを弾いてみたい!」
しかし、僕はギターを持っていなかった。
思い切って父に思いを打ち明けるも、「自分の小遣いで買え」。
当時の僕の小遣いは月に1,000円。
逆立ちしてもギターは買えない。
その絶望感たるや凄まじいものがあった。
そんなある日、自転車で5分の祖父母の家に遊びに行った。
その家には、母の2人の弟、2人の叔父も住んでいた。
当時、僕は末っ子の叔父の部屋を訪ねるのが大好きだった。
叔父はオーディオマニアで、これまた僕が欲しくてたまらなかったステレオを持っていた。
「あつし。バカでかいスピーカーの下にブロックが置いてあるだろう。こうすると、重低音が響くんだよ」
叔父が何を言っているのかはさっぱりわからなかったが、確かに迫力のあるいい音であった。
「僕もステレオが欲しいなぁ。だけど、今はもっと欲しいものがあるんだ」
「なにが欲しいんだ?」
「ギター。ビートルズを弾けるようになりたいんだ。でも、お父さんが買ってくれなくて」
それから数日が経過した。
何日後かはもはや記憶が曖昧になっているが、突然、叔父がギターケース持参で僕の家に来た。
そして、僕の父に向かって言った。
「義兄さん。このギター、もう弾かないから、あつしにあげてもいいですか?」
「なんだ。お古をくれるのか。そりゃあ、あつしも喜ぶぞ」
そのやり取りを聞きながら、しかし僕の頭の中は疑問符だらけだった。
それまで、叔父がギターを弾いているところを見たこともなければ、叔父の部屋でギターを見たこともなかったからだ。
「あれ? おじちゃん、ギター持ってたっけ?」
すると、叔父は父にばれないように唇の前で人指し指を立てた。
その後、叔父と一緒に僕の部屋に移動するやいなや叔父は言った。
「いいか。これは俺が前から持っていたギターということで押し通すから、あつしも話を合わせるんだぞ」
「え? じゃあ、おじちゃん、これ、買ってくれたの?」
「そんなことはいいから。それより、俺の言ったことわかったな」
「うん! ありがとう、おじちゃん!」
こうして、僕はついに念願のギターを手に入れた。
それから、ギターの猛特訓の日々が始まるわけだが、「一番弾きやすい」と本に書かれていた「イエローサブマリン」がついに弾けるようになった。
ただ、僕の中には違和感があった。
楽譜通りに弾けているはずなのに、全然、雰囲気が、いや、音色が違うのだ。
それからすぐに事件が起きた。
自分のギターを自慢したくて友人の家に行ったときに、呆れたような顔で言われた。
「それ、クラシックギターじゃん。ビートルズはフォークギターだよ」
試しに、彼のギターで「イエローサブマリン」を弾こうと手にして驚いた。
フレットの太さや弦の固さなどなど、もはやピアノとエレクトーンくらいの差があるほどに別物であった。
ギターに疎い、否、なにも知らない叔父は、間違ってクラシックギターを購入してしまったのだ。
また、このときに僕の「違和感」の正体が明らかになった。
ビートルズが「イエローサブマリン」で弾いているのはクラシックギターではない。フォークギターなんだ・・・。
恐らく、これから練習しようと思っている「ヘルプ」も「イエスタデイ」も、ビートルズは全部フォークギターに違いない。
その証拠に、クラシックギターとは音色が明らかに違う。
すると、友人が思わぬ提案をした。
彼の中古のフォークギターと、僕の新品のクラシックギターを交換しようと言いだしたのだ。
金持ちの彼は、12弦ギターを含む3本のフォークギターを持っていた。
僕は、一瞬、叔父の顔が脳裏に浮かんだが、フォークギター欲しさでその提案を呑んでしまった。
弁解させてもらえるならば、当時の僕はあまりに幼すぎた。
それに、フォークギターで弾いた「イエローサブマリン」がレコードで聴いていたそれと同じ音色であったことに僕の興奮は絶頂に達していた。
人生で初めて、自分がビートルズの一員になれたような高揚感に包まれていた。
そして、今、友人の提案を呑まなければ、僕は一生、ビートルズが弾けるようにならないと思い込んでしまった。
この一件だけは、今でも叔父には大変申し訳ないことをしたと胸が痛むが、いずれにしても、叔父が買ってくれたクラシックギターがなければ、僕はフォークギターを手にすることはなかったし、当然にしてギターを弾けるようにもなっていなかった。
ギターが弾けたから、19歳になってピアノも練習した。
ピアノが弾けるようになったから作曲もした。
僕は、今回の人生はビートルズとポール・マッカートニーの曲を聴き、自分でも弾くために生まれてきたと信じている。
すなわち、ギターもピアノも僕の人生そのものである。
いわば、叔父から買ってもらったクラシックギターは、僕の人生の原点なのだ。
叔父がいなければ、間違いなく今の僕はいない。
その叔父が、昨夜、平成30年12月7日、22時7分発の電車で天国に旅立った。
僕が21時頃見舞いに行ったら、「あつしか」と、嬉しそうな顔を見せて、酸素マスクを外して起き上がろうとした。
すぐに、介護士が酸素マスクを着け、「じっとしていましょうね」とやさしく声をかけてくれた。
その後、叔父は二言三言、なにかを話したが、残念ながら聞き取ることはできなかった。
それよりも、僕の顔を見て、また酸素マスクを外し、起き上がろうとする。
介護士も困った顔をしていたので、僕は叔父を興奮させないように、「また来るから、休んで」と言った。
「なんだ、帰るのか」
これはかろうじて聞き取れた。
そして、自宅に着くと両親が出かける準備をしていた。
「あつし。すぐに病院に行くよ。心臓が止まりそうだって」
「まさか。今、見舞いに行ってきたけど、自力で起き上がろうとするほど元気だったよ」
しかし、病院に着いたとき、叔父はすでに息を引き取っていた。
死に目に会うには10分遅かった。
実は、その2日前に心臓が止まりかけたのだが、僕は仕事で東京にいてどうにもならなかった。
おふくろが言った。
「きっと、あつしに会いたくて待っていたんだよ。あつしに会えたから、旅立つことにしたんだよ」
叔父は、紛れもなく、僕の「恩人」だった。
10日が通夜で、11日が葬儀なので、今日と明日は愛する「恩人」の寝顔を見つつ、ギターでも弾きながら過ごそうと思う。
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