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丸亀城の文学碑(高濱虚子・吉井勇)

先日、丸亀に行ってきました。目的は刀の期間限定公開&丸亀城石垣修復支援イベントへの参加で、そのときの様子は別の記事(「丸亀・ニッカリ青江プレミアムウィーク」)に書いたのですが、丸亀城で見つけた文学碑については記事を分けてまとめることにしました。

丸亀城について

丸亀城は生駒氏によって築城され、その後山崎氏を経て、明治時代まで京極氏の居城でした。

数少ない現存天守の一つで、
・日本一小さい天守閣
・日本一高い石垣(単体ではなく4重に分かれた総体が)
・日本一深い井戸
と3つの日本一を持つお城です。

日本一小さいという天守閣は近くで見るとなんとも可愛らしい大きさなのですが、城下から見上げると、石垣の立派さと遠近感で、遥か高くにそびえ立つように見え、却って威厳を感じました。

城内図にも記載がありますが、見返り坂から三の丸に向かう途中に高濱虚子句碑、本丸の裏手に吉井勇の歌碑が建てられています。(本当は、城の北側に自動劇作家・斎田喬の文学碑もあるのですが、暑さでぼんやりして行き損ねました……この日はとても暑かった……。)

高濱虚子の碑

駅から丸亀城に向かい、大手門をくぐってそのまま進むと、見返り坂という傾斜のきつい坂があるのですが、ここを登ると三の丸・二の丸・本丸に着きます。

この見返り坂を登りきると、三の丸の高石垣が現れます。なだらかな角度からほぼ直角まで反り上がったエッジの曲線が美しいですね。

ここを右に曲がったところに高濱虚子の句碑があります。

稲むしろあり飯の山あり昔今

飯の山(飯野山)というのは丸亀城の南東に見える山で別名「讃岐富士」。昭和24年秋に、丸亀城から飯野山と丸亀平野を眺め詠んだ句とのこと。

写真の真ん中に見える山が飯野山です。丸亀城と飯野山の間に広がる平野は現在は建物が目立つようになりましたが、昭和初期〜中期頃の地図を見るとほとんど田んぼだったようです(参考:今昔マップ 1928年、1969年)

一面、金色に輝く田の向こう側に美しくそびえる飯野山、さぞかし絵になる風景だっただろうと想像されます。

城内のおみやげショップでは、丸亀うちわが多数販売されているのですが、その一つに、丸亀城と虚子の句が記されたうちわがありました。絵柄も味があっていい感じだったので思わず購入。部屋に飾っています。

吉井勇の歌碑

三の丸から二の丸に登り、そのまま進むと本丸に上がるのですが、上がらずに、本丸外壁に沿って歩くと、三の丸に降りる石段があり、本丸の裏手(天守の西側)に出ます。

以前は三の丸の南側を回り込んで行くこともできたのですが、現在は石垣が一部崩壊しているため立ち入ることができません。(今確認したら、三の丸から北側を回り込むルートもあるようですが、こちらはどんな様子だったか不明です。)

人麿の歌かしこしとおもひつゝ海のかなたの沙弥島を見る

吉井勇は、石川啄木らと「スバル」を創刊し活動した歌人で、「ゴンドラの歌」の作詞者としても有名です。スキャンダル「不良華族事件」によって東京を離れ、一時期高知に隠棲していました。

昭和11年、高知隠棲時代に、招かれてこの地を訪れた吉井が丸亀城から沙弥島を眺め詠んだ句です。

間に建物が建ってしまってわかりにくいのですが、下の拡大写真で、クレーンのようなものがあるあたりから、瀬戸大橋の1本目のタワー(ケーブルを吊っている柱)が見えるあたりまでが沙弥島です(おそらく)。かつては一つの島でしたが、昭和42年に埋め立て造成が行われ、陸続きになりました。

現在、建物が多く建っているあたりは塩田だったので、今よりもずっと見通しがよく、沙弥島もしっかり見えたのではないでしょうか。

「人麿の歌」というのは、柿本人麻呂が詠んだ歌のこと。現在の金倉川河口にあった中乃水門より船出して、沙弥島に渡り、以下の歌を詠みました。

玉藻よし 讃岐の国は 国からか 見れども飽かぬ 神からか ここだ貴き 天地 日月と共に 足り行かむ 神の御面と 継ぎ来る 中の湊ゆ 舟浮けて 我が漕ぎ来れば 時つ風 雲居に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺見れば 白波さわく いさなとり 海を恐み 行く船の 梶引き折りて をちこちの 島は多けど 名ぐはし 狭岑の島の 荒磯面に 蘆りて見れば 波の音の しげき浜辺を しきたへの 枕になして 荒床に ころ臥す君が 家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを 玉桙の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ 愛しき妻らは

「中の湊」は人麻呂が船出した中乃水門、「狭岑の島」は沙弥島を指します。

丸亀駅からタクシーで6分、自転車で15分ほどのところに、中津万象園という立派な庭園があるのですが、この辺りが、かつて中乃水門があった場所と言われています。庭内には中乃水門跡の石碑が建てられ、碑の隣には人麻呂の詠んだ句も刻まれています。


当時の地図を眺めながら文学碑を訪ねると、その土地のかつての姿が思い描かれ面白いです。(今昔マップはスマホからも見られるので旅のお供におすすめです。)

地図だけでは、なかなかその場所の景色までは思い描きにくいですし、碑文だけでもやはり、今と昔では景色が違いすぎて想像しにくい。現在の景色と当時の地図とを重ね合わせる際に、先人がその景色に心動かされ詠んだであろう句や歌が、想像を助ける橋渡しになるような気がします。

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