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奇岩、磨崖仏、金勝アルプス/歴史探訪③

 あけましておめでとうございます、しがクラです。皆さんはどのように年越しを迎えましたか?私は住吉大社にて先輩と年を越しました。ものすごい人だかりでおみくじを引くことができず帰りましたが、とても良い2022年のスタートを切ることができました。
 さて、今回は去る年2021年12月27日に探検部の友達と行った滋賀県の金勝アルプスの活動記録です。お前滋賀ばっかり行ってるなと聞こえてきそうですが、さっそく本題に入りましょう。

奇岩

 電車で草津駅までそこから登山口まではバスで行きました。途中、急病人が出たり、雪の影響で遅延したりと予定通りバスに乗れるか内心ヒヤヒヤしていましたが、無事登山口に到着。
 積雪を心配していましたが、日陰に多少雪が残っている程度でそこまで脅威に感じませんでした。それよりも凍結のほうが恐ろしかったです。岩は浮石でなければ、基本信頼できるのですが、凍結していて下手に足を置くことができず苦戦しました。この山塊は花崗岩が風化、浸食したことで形成されており、不思議な光景が広がっています。

このような岩が至る所に。しかしながら、この山塊の注目ポイントはそこだけではありません。例えばこの岩

重ね岩

一見、何の変哲もない岩のように見えるでしょう、特に写真だと。しかしこの岩、よく目を凝らしてみると…

なんと仏様が彫られています。この山も信仰の山なのです。

信仰の山

 さらに仏教のみならず神道の聖地でもあります。

こちらは滋賀県栗東市に位置し、平安後期に建立されたとされる大野神社の境外社。天之水分神(あめのみくまりのかみ)が祀られており、干ばつ時に雨乞いの儀が行われていたと伝わっています。

 そうこうしているうちに今回の山行の目的地の一つである狛坂寺跡、狛坂磨崖仏に到着。

縦の長さは6mの巨大な一枚岩に彫られています。横から見るとさらにわかりやすいでしょう。

こう見ると、彫られた岩の大きさ、凹凸もはっきりして見えるでしょう。制作時期については女人禁制であった金勝寺の別院として狛坂寺が建てられた平安初期とも、奈良時代後期とも考えられており定かではありません。
 

そして狛坂磨崖仏周辺を見回してみると石垣が目に入りました。狛坂寺は明治時代に廃寺となっているのでその遺構でしょうか。廃仏毀釈運動の影響もあったのではないのかと推測したのですが、詳しい実情はわからず。

追記
こちらのサイトが発掘調査や当時の状況を知るのにはいいかと
近江金勝寺・近江狛坂寺跡 (biglobe.ne.jp)

石垣に近づいてみると何か転がっています。自然の石にしてはやけに形が整っており黒々としています。

何だろう?と手にとってみると、瓦ですねこれは。

他にも灯篭の土台でしょうか。

史跡にも登録されており、現地の教育委員会によって調査もされているはずなのですが、こんな無造作に。自然のままなのですね。他にも何か探せば出てくるのではないかと思うと離れるのが名残惜しくまだまだ留まりたかったのですが、バスの時間を考え次の目的地へ。

さかさ観音

 山道を終え、第二名神高速道路のトンネルをくぐった今回の行程の最終盤に目的のものはありました。

小見出しにもある通りさかさ観音です。

文字通りさかさになっています。なぜ観音様をわざわざ逆さにと思う人が大半でしょう。巨大な岩に彫られているので、彫った後逆さにひっくり返されたということは労力的に考えづらいでしょう。とすると、最初から逆さになっていたと考えるのが自然でしょう。しかしながら、実はこれ意図してひっくり返されたり、逆さに彫られていたわけではないのです。ヒントはこちら。

明治時代に行われた治水事業の一環で建てられたオランダえん堤と技術者ヨハネス・デレーケの胸像です。えん堤の材料は何でしょうか?さかさ観音が彫られた石の中途半端な形、気になりませんか?察しの良い人はお気づきかもしれませんね。正解は写真の下に書きますので、考えてみてください。



そう、観音様はもともと山上の巨大な一枚岩に彫られていたのです。その一枚岩の一部をえん堤の材料として使うべく削り取った結果、バランスが崩れて落下し今の形に収まったのでした。

まとめ

いかがだったでしょうか。コースタイムの割におもしろい景色を見ることができる金勝アルプス、ぜひ歩いてみてください。次に行く際は行くことができなかった、泣き地蔵、金勝寺にも行きたいです。それではまた。


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