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ギャルのいるファミレス

私は高校卒業後から3年間ファミレスでアルバイトをしていた。店内中に猫の絵がそこら中に貼られている大きなパフェが名物のファミレスだった。  

一緒に働いていた子達は何故かギャルが多かった。清楚系からガチのギャルまで、もちろんギャル男もたくさんいて、いつも誰かが髪の色を注意されていた。 とにかくこのバイト先が好きだった。

少し話は反れるが、私は大学受験で合格後、約束していた祖父から大学費用を払って貰えないという大事件がおきた。たぶん祖父の後妻の提案であろう。文字通り目の前が真っ暗になり、母子家庭の学生に急に大学に行けるほどの財力などあるわけがなく、こんなことなら部活なんてしないでバイトしとけば良かったと反省した。アホだった。

その辛い時期を耐えられたのは、同じような境遇の友人が居たからだと思う。2人で家庭環境を嘆いては、無料で勉強できそうな場所を探し、友達が作ってきてくれたおにぎりを食べた。友達が叔母さんからお金を借りて大学に進学できるようになったと聞いたときは、自分のことのように嬉しかった。

私は進学校では珍しく、翌年から予備校に通わないタイプの浪人生になったのであった。先生たちも心配してくれた。学費を稼ぎつつ、学力も身に付ける1年間にしようと、とにかくアルバイトを探した。私なりに生きるのに必死だった。

最初に受かった新幹線の駅のアルバイトは社員の愚痴がひどく、忍耐力もまだ身に付いてない私はノイローゼになりすぐに辞めた。ベテランのヨボヨボのおじいちゃんだけが、私を「お嬢」と呼んで可愛がってくれ、嬉しかった。

次の本屋と映画館は見事に面接で落ちた。泣きっ面に蜂だった。そんなこんなで受けたのがこのギャル達のいるファミレスだった。

ライスの関町さんに似た店長と面接したとき、あまりに切羽詰まっていたので、志望理由を話している途中で泣いてしまった。これじゃあ泣き脅ししてるみたいだと思いつつも、見事に受かった。ありがとう店長!

ここで働いていた人たちはみんな優しかった。パワハラやいじめで会社や前のバイト先を辞めたり、親が働かなかった子もいて、みんな互いに気遣ってお店が回っていった。居心地が良かった。「良い職場に悪い人が入ってきても、居づらくなって辞めていくのよ~」とおばちゃんが言っていたとおり、変な人は入ってもすぐに辞めた。逆もしかり、悪い職場に良い人が入ってきても居づらくなって辞めてしまうこともあると今はわかる。

ファミレスの土日はオーバークックぐらい頭を使った。このお客さんはマタニティーマークが付いているから喫煙席から離そう、デザートが混みあってきたから早めにお客さんに声掛けしよう、うるさい集団は奥に詰め込もうなど、考えながら仕事をすることは楽しかった。

ギャル達は夜の仕事を掛け持ちしている子も多く、ホストやガールズバーなど二日酔いになりながらもみんな頑張って働いていた。
私の愛想のない接客なんかより、べらぼうに接客が上手くてかっこ良かった。接客に対する経験値が全然違うのだ。暇になるとギャルが常連さんに話かけにいく、私が常連さんになりたいくらいの微笑ましい光景だった。

バイト内で恋愛のいざこざはいろいろあったが、蚊帳の外で私はみんなが辞めないよう勝手にフォローをしていた。そのくらいみんなのことが好きで、私はこの場所を守りたかった。

1年後、バイトの前後で猛烈に勉強した私は無事何件か合格し、その中で学費が払えそうな学校に進学することになった。週5で入っていたバイトのシフトも減らすこととなった。そのうちにだんだんとバイト先に自分の居場所は無くなり、就活で仕事が決まったと同時にバイトを辞めた。

今でもよくバイトの夢を見る。もし働けるならまた同じ場所で働きたいと思うが、今はもう違う居酒屋になってしまった。多感な時期に自分の居場所が出来たこと、誰かの居場所を作れたことは一生忘れないだろう。

※写真はキッチンのギャルが作ってくれた私の好きなオムライスのまかない

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