見出し画像

イベント運営における権利とメリットのデザインはとても大事

という話を書きます。

私は立場上いろんなイベントに声をかけてもらいます。イベントの登壇依頼だったり、出店依頼だったり、ワークショップへの参加依頼から行政懇談会みたいなものまで様々ですが、あまりあるほどの報酬を提示していただけるものもあれば、予算がなかったり企画の立て付け上難しいものについては、無償でもよいですよ、ということでお受けしている案件もありました。

有償・無償問わず、すごいなーありがたいなーうれしいなーというイベントもたくさんある一方で、正直いうとちょっともやもやして帰るイベントもいくつかありました。なんでなんだろーなーというのを考えた結果、表題の結論に至ったので、そのあたりのことをまとめます。

権利とメリットのデザインをしないということは「一方的な搾取」と変わらない

ちょっと強い言葉になりますが、権利とメリットのデザインが十分でないままに参加者に負担を求めることは、一方的な搾取とほとんど変わらないと僕は考えています。

イベント運営で権利とメリットについて考えが十分ではない場合どうなるのでしょうか。それは一方的な搾取につながる場合があります。

タカラトミーが主催した「おもちゃハッカソン」では、参加費が必要なのにもかかわらず、受賞作品の権利がすべて主催者に帰属するという規約内容だったため、インターネット上で炎上する事態となった

たとえばこういう例。イベントで得られた知見を主催者側がすべて囲い込もうとして炎上しました。実際僕もツイッターでライブでみていたので、やっちゃったなーと思いました。

あるいは、主催者や関係者が全員仕事でやっているにも関わらず、登壇者等の労働力を提供した人に報酬をどのように支払うかを考えていない場合もそうです。金銭的に無料であったとしても、それは無報酬でよいということとは違います。

また、ワークショップ等で自分たちがやる上でカウンターパートとなる参加者(有識者や地域の声を集約する立ち位置での地域住民)に無報酬での参加を求める場合もそうです。「地域の声を聴きました」という建前(本人がそう思っているかどうかはさておき)を得るために地域住民を呼んでいるのに、その参加者にはなんの報酬設計もされていない、という事案は本当によく見ます。

「長期的な目線でWin-Winにしていければ」という免罪符の危険性

こういう話を主催者側とすると、「そんなつもりではなかった。長期的な目線でWin-Winの関係を築いていければ」という答えがほぼ確実に返ってきます。で、主催者としては本当にそう思ってないことがほとんどだと思います。

この考え自体がが悪いか、と言われればそんなことはないです。金銭や時間的な余暇のない若い人が何か挑戦をする場合などはこうやって「いつか恩返しするから、今は何も支払えないけどわかってほしい」というのは全然あってよいと思いますし、僕も結構やっています。

ただし、それは「両者が事前にそれについて話し合い、合意している」場合や、十分な信頼関係がある場合に限ります。信頼関係ができていれば「大丈夫、あいつはこういうところでもらわなくてもいつか返してくれる義理堅い奴だ」というようにもなりますが、そうではない場合に、参加者側は勝手な解釈をせざるを得ません。1回2回は許せても、いずれ不信感や敵対心、無力感、コミットの放棄というようにつながっていき、コミュニティの崩壊を招きます。

一度こうなってしまうと改めてコミュニティをつくりあげていくのはとても難しくなります。

だからこそ日常的な関係構築を重視すべき

故意であるかどうかは関係なく、参加してくれる人のやさしさや厚意に対して、どのように応えるかを考えていないのは、受け手からすれば「応える気がない」のとあまり変わらないです。

とはいえ、こういったことを会がある度に一人一人に説明していって・・・というのはとても大変ですし、ヌケ漏れがあっても仕方がないです。

だからこそ、日常的にコミュニケーションをとりながら、何を考えているのか、自分が何に価値を置いているのか、地域の人たちにどんな影響を及ぼしたいと考えているのか、ということをしっかり伝えていくべきだと私は考えます。

最後にエクスキューズするけど、自分がうまくできているわけでもないので、他山の石として自分の行動に生かしていければと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?