二極性と二元性

僕にはたくさんの先生がいる。

大抵は本からだけど、TVや映画の主人公などの架空の人物も含めて本当にたくさんいるのだ。もう死んでしまった人もいるけど、先生たちの本をひらくたび、映画を見るたびに僕は元気をもらい、たった一つのことばに何度人生を救われたことか。

その先生の内の一人が教えてくれた、"二極性と二元性"は僕のmottoにしている。

二極性と二元性は英語で言うと、”Polarity & Duality”。

二極性とは2つの物、事、考え、意見がお互いに完全に真逆であるという事。
"黒か白"、"善と悪"、「私たち」か「彼ら」、グレーゾーンや中間はなくて、ゼロか全部か、敵か味方か、あるのは両極のみという考え方。

何かと今の世の中は「どっちにつくのか?」「君の考えはどっちなのか?」と問われやすい世の中である。

本当は僕はどっちの味方でもなくて、どっちの考えにも賛成できなかったりするのに。

二元性とは、2つの面を持つ事を言って、これが180度正反対にあるのではなくて、同時に共存している。

先生の例を挙げると、
「中絶を認めるカトリック」「ヒジャブを着たフェミニスト」「反戦派の元軍人」
二元性は両方の要素を保つ事を言う。

大多数の人はきっと二元性の考えに生きていると思うのだけど、問題は二元性を実行できるか。両方の要素を自力で保つことができるか。

(以下、先生のことば)
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私は市内のレストラン勤務でホール係をしているんですが 、ホール助手の子とすごく仲良くなりました 。一緒にいてすごく楽しい子で スペイン語に堪能でした。英語はあまりできず 、でも 私のスペイン語よりは遥かに上手でした 。私たちにとって お互いの相違点は 障害にはならず むしろ 共通点で結びついたのです。かなり違う環境の出身なのに 、近い存在でした。メキシコ出身の彼女は 家族に楽をさせてあげたくて 単身渡米したそうです。敬虔な保守派のカトリックで 伝統的な家庭の価値観や 典型的な性役割を 信じて疑わない子でした でも 私は ほら こんな感じでしょ (笑)

それでも私の彼女のことを話したり、メキシコに残してきた家族の写真を見せてもらったり、そういう話をしながら仲良くなっていきました。ある日スタッフ部屋で、珍しく客足が引いているうちにと小さいテーブルを囲んで急いでまかないを食べている最中、厨房担当の新人が来て― ちなみにその友人の従弟でした― ハタチの彼なりに精一杯の虚勢と男っぽさを見せつけながら座ったんです (笑) そして、友人にスペイン語で 「アッシュに彼氏はいるのか?」 友人がスペイン語で答えます。「彼氏じゃなくて 彼女がいるのよ」 すると新人は 「彼女だって?!?」 すると友人はフォークを置いて彼の目をじっと見据え 「そうよ 彼女がいるの それだけよ」 と言いました。傲慢にニヤニヤしていた新人が途端にしおらしくなり自分の皿を持って部屋を出て行き、仕事に戻りました。友人は私とは一度も目を合わせず 同じく皿を下げて仕事に戻りました たった10秒というものすごく短い会話でした。

この2人は言語、文化、歴史、家族など 書類上の共通点は沢山あるし、地元の輪は彼女の命綱でしたが彼女自身の倫理基準が その全てを凌いだのです。少し後で2人は厨房でスペイン語で 冗談を言い合っていました。私とは無関係にです。これが「二元性」です。ゲイに対する表現上の公正さなんかと 自分の文化や伝統の間で迷ったり家族親戚と友情の板挟みになったりしませんでした。キリスト様か、アッシュ様か 選ばなくてよかったのです (笑)

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昔からの考えだったり、自分のアイデンティティーだったり、今まで世の中に受け入れられてきた事を変えることは想像以上に大変。周りからの圧力であったり、親しい人や世間から批判や顰蹙をかうのはとても辛い。

だけど、こんな世の中だからこそ、僕はいつでも両方を保てる人でありたいと思う。

ブッタも言った通り、「悟りとは道の真ん中にある。極端と極端の間にあるものだ」本当にその通りだと思う。


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