見出し画像

正しい自尊心・自己肯定感の築き方

7つの習慣
人を動かす
思考は現実化する
金持ち父さん
マーフィーの法則


家には昔読んでいたいわゆる「成功哲学」の本がずらりと並んでる。そういうセミナーにも何度かいったことがある


自分はけっこうな読書家だったので、本で対人関係を学び、そして実践した。最新のビジネスなんかも研究し、トレンドをとらえようと努力してたりした


みずがめ座の時代
キリスト意識の到来
ヌーソロジー
神との対話
縄文思想


ピラミッド(orジクラート)の上の方を目指すよな人生は、なんだか違うよなという違和感にぶち当たり、精神世界、いわゆるスピリチュアルの世界へと方向性を変えていった。これらの本も本棚にずらりと並んでるw


ピラミッドの上の方を目指す人生。は想像つくよな話だけど全員が幸せになれることはない。そりゃそうだ。上の方は狭いのだw。儲かる会社と儲からない会社があり、社長と部長と平社員がいて、成功者と下層者があるのだ。どうしても、どんなにいいこと言っても競争社会なのだ


それらをやめて、精神世界に心のあり方に着目する人生。はいっけん全員が幸せになれる最適解のように見せかけられてはいるが、「人それぞれ病」が蔓延するのだ。人生人それぞれ。不義をとがめることを禁止してる暗黙の自分不可侵条約コミュニティが形成され、やんわりと孤独と悪が蔓延しおのずと滅びる。優しいようで、冷たい人間、心に距離のあるコミュニティになっていく


これからやってくる新時代・新世界・新次元は、「競争ではなく共生」がテーマである。多様性の旗印🌈のもと、善悪など立場によって変わるという思想の蔓延は、他人の不義をとがめたらいけない空気感の蔓延は、たとえ一緒に過ごしていても、うっすらと孤独と不安がつきまという。自由の皮をかぶった混沌の時代。なんだか近いようでいて心の距離がありまくる、愛の冷え切った世界が到来する


聖書には、愛のない冷え切った時代が「終わりの日」の前に訪れる。と書かれている。2024年と2025年は劇的に闇が進む。備えよう👍


支配者に騙されず、本当の本物の自尊心・自己肯定感の創り方。を伝えたい


間違った自尊心の築き方



間違った自尊心・自己肯定感の築き方

①がんばるコース(自己暗示でナンバー1コース)
②がんばらないコース(自分受容でオンリー1コース)
おおむねどっちかだw

覚えておかないといけない。繰り返し書いていることなのだが、支配者の手口の鉄則中の鉄則。支配者が用意する流行らせる2択は両方とも外れだということ


成功哲学や一般的な心理学講座や占いやスピの土台にあるのは、自己暗示(アファメーション)または自己受容(じぶんをゆるそう)のいずれかである


メタバースやコスプレ文化や多様性のゴリ押しの土台にあるのは、自分創造(いつでも新しい自分になれる)という表面的にはポジティブにみえる現実逃避である


引き寄せの法則だとか、鏡の法則だとか、ポジティブシンキングだとか、呼び名は色々あるけれど、オレはできる!ワタシはかわいい!人生ってステキ!いい人と絶対出会える!そのために努力もする!わたしは努力できる人!仕事は楽しい!毎日がハッピー!オレはナンバー1!あるいはオレはオンリー1!


他人軸(ナンバー1)も自分軸(オンリー1)も、けっきょくのところ、頼れるものは向き合うものは「自分」という点では、たいして変わらない


量子。これからは精神性の時代だ!そしてこれからは波動やらオーラやら量子をとおして世界を創造してるのは自分の心のあり方なのだから、どんなときでもポジティブでいよう!


という教えは、ブラック企業の朝の朝礼と紙一重だw


占い。これは心に心地よいことを言ってあげる。というビジネスだ。人は心地よい言葉を、自分に合うしっくりくる言葉をくれる人を、「分かってる人」「やさしい人」「言い当ててくる人」という。一流営業マンと占い師のやってることはおんなじだw


心理学。も2つの方向性がある。フロイトみたく過去を掘り下げるタイプのものとアドラーみたく過去を掘り下げずに自分の今の心のあり方に目を向けるタイプ。どちらにせよ、自分の心の闇やそこからくるトラブルを解決できるのはするのは「自分」。頼れるのは「自分」という心理学だ


そんでけっきょく「自分」のスペックが低いとおもってる人のやることは


①自己暗示(アファメーション)してポジティブに強く生きよう
②瞑想したりアーシングしたりして自分をゆるそう受け入れよう
③もう一足先に自分捨てよう。新時代新次元はもうすぐなんだから
である


起業セミナーにでて、超やる気がでる。そのそのやる気が続かない。自尊心もモチベも下がる。。。ゆるいフェスにいってみんなで温泉帰りによって癒やされる。ゲームやコスプレに浸りゲーム内ではイベント会場ではもてはやされる。でも家にもどると職場の人間関係も弱い自分もなんも変わっていない。。。


みたいなことを繰り返している人はおおい


悪魔の嘘


悪魔はこの世での肉的な癒やしを、救いと呼ぶ
いつでも嫌な自分は捨てて新しい自分になれるという
自分なんてものはひとつでなくてもいい(分人)。どんどん創ろうという


働いて起業してブランド品と車買っても
体みがいておしゃれして異性にモテても
ブチ上がる音楽フェスで踊りまくっても
自然に囲まれたカフェでヨガ瞑想しても
当事者会にでて悩みを打ち明け合っても
コスプレでコミケイベントに参戦しても
ニートで集まって持ち寄って共生しても


ちょっとだけ癒やされるけど、救われない
なんも自分が変わらない。現実がひたひたと迫りくる
この刹那的な短絡的な癒やしを、悪魔は救いだと言い張る
本当の救いから目を遠ざける。嘘なのだ。偽物なのだ
救われるわけがない。嘘なのだ。偽物なのだから
だから繰り返す。やる気と虚無を、繰り返す


悪魔に支配者に騙されるな。気分や老いや時代の変化で簡単に崩れ去る、空虚な自尊心を築くなよ


陽気であかるい日本人



ラビ・マーヴィン・トケイヤーやポールリシャールさん。渡辺京二さんの「逝きし世の面影」など江戸時代や戦前の日本を海外の人からみたら、どういう国民性であったかについて書き残されている書物がいくつかある


日本人は、貧乏だったが、臆することなく話しかける陽気な民族。服装がボロ布だからといって、背が相手より小さいからといって、言葉が通じないからといって、相手と自分の見た目がぜんぜん違うからといって、話しかけない。距離を置く。なんてことはない。というのがだいたいの外国人からみた日本の民の姿であった


めちゃくちゃ人懐っこく、臆することなく、話しかける民族だったらしい。今とはぜんぜん違うのだなw


戦前や江戸時代と、今の自尊心ワースト大国日本の違いは何だろか。。。


いぜんのnoteで戦前の、昭和6年の教科書の中身について書いたのだけれども、教科書からしても昔は文字通り「神の国、日本」であった



10歳の女の子でさえ、神(創造主)の存在を信じてた国。それが日本なのだ。今はダーウィンの進化論をならうので、今はヤマトではなく縄文をならうので、、、


「神がいる?神に人は作られた?ぷぷぷっ今どき宗教ですかw」
「神武天皇?天照皇大神?神話ですよねwてか誰ですかそれーw」
「悪いことすると地獄行き。そんな話を怖がるの子どもだけですよw」


言わないまでも、心のなかではそんなふうに、扱われてるのが今の神のポジションだ


戦前の子ども「自分は神に創られた唯一無二の最高傑作」
戦後の子ども「自分は猿やアメーバから偶然できた生物」
学校教育が与える自己認識が、今と昔ではかけ離れてるのだ


あなたの自己認識はどっちですか?
◯目的や役割をもって創られた神の最高傑作
◯偶然(ようは無目的)に猿から進化した生物


ところで。自尊心と自己肯定感が高いのは、どちらだろうか


神社と神棚大国・日本



これは、傲慢になれだとか、選民意識をもてだとか、そういう意味でいってるわけではない。戦前の日本人は神社によく足を運んだのだ。伊勢神宮に毎年国民の10人に1人が参拝してたのだ。今でも正月には8割近くの人が神社にいく


日本人は多くの人が「じぶんは無宗教」だと思ってる。海外から見ると、大勢の人でごった返す神社をみて、「アメージング!なんて信仰大国だジャパン」となるw


神社にはどこでも「清め給え祓い給え」と書いてある。「(神様が)(わたしの罪や汚れを)清めてください祓ってください」ということだ。今の国民とくらべて戦前の日本人は、神の実存を信じてる一方で、ほぼ毎日、神社や神棚の前で、己の罪や汚れを、告白してたのだ


日々、自分の罪や汚れと向き合うことで、自分には罪や汚れがあるという自己認識をもっていたのだ


日本はスピってる人がこの先ふえる。スピの根幹教義のひとつが
◯自分を(自分で)許してあげよう
◯自分を(自分で)癒やしてあげよう
◯自分を(自分で)愛してあげよう
である


戦前の人「神さま私の罪を汚れを清めてください」
スピの人「自分を癒そうゆるそう愛そうよ❤」


人には、罪の原理がある。これはおれだけじゃないはずだw


親にたいして、妻にたいして、夫にたいして、上司にたいして、恋人に対して。こう言ったりしたやったりした方がいいのに、その逆をやってしまう


怒りや憎しみが抑えられなくて、攻撃じゃないですよと予防線を張りながら、分かりにくい攻撃をしかける。悪口じゃないですよと予防線を張りながら、悪口をいる。自分を傷つけることで「あなたのせいだ!」というレッテル貼りを展開するのだ


罪との向き合い方。が異なるのだ。


戦前「あー神様またやってしまいました。自分は嫁を愛しているのにまた傷つけてしまいました。どうかじぶんをゆるしてください。そしてそんな自分を創り変えてください」


スピ「恋人を怒らせちゃった。でも大事なのは私の心。私の心を傷つけてきたんだから、私も悪いところあったけど、悪いのは相手だよね。週末は温泉にでもいって自分を癒そう❤」


どんなに自分を癒やしても、あなたの心は変わらない。あなたの現実は変わらない。罪としっかり向き合わないからだ


①自分の罪や悪や汚れた心と向き合う人
②自分の罪や悪や汚れた心に蓋をする人


長い目で見て、自尊心・自己肯定感がつくのはどちらだろう


人は一日に20〜30回の選択をする。朝起きるかどうかからはじまり、朝ごはんを食べるかどうかがあり、仕事に真剣に取り組むのかどうか、お酒に溺れるのかどうか、、、日々の選択が一日をつくり、一年をつくり、あなたの人生をつくる


自分の罪や悪や汚れを認め、どうか清めてくださいと真剣に心からお願いしてみたらどうだろか


多くの人が、人生に悩む。当たり前のように、自分の人生の責任者が、自分だと思っているので、自分なりに考え、自分なりに思い、自分なりに動く


悪魔は支配者は今、量子・波動・オーラ・エネルギー・氣など、いろんな呼び方はあれど、「あなたから発せられる見えない何かしら、が世界を創ってる」という超巨大宗教を流行らせている。自分教だ


人生は自分が創っている。という悪魔の嘘にだまされてはいけない。あなたを創ったのはあなたの人生をを創ったのは、創造主(神)だということに気づく必要があるのだ。あなたは生まれたくてその家にその環境に、その時代に、その見た目で、その性別で、そのスペックで、生まれてきた覚えなんで一ミリもないだろw


それならば、あなたの人生の責任を負うのは、あなたではない。創った本人だ。まずは、聞いてみたらどうだろか。神社にいって「どうしてオレをワタシを創ったんですか?なに目的ですか?」と



聖書で神はこう言っている。人は神に似せて創った宇宙史上の最高傑作だ。完全オリジナルで創ったので世にひとつとして同じものは創っちゃあいない。あなたには召し(役割)と賜物とがあり、あなたに何が起きようともあなたが何をやろうとも、犯罪を犯しても逮捕されても、AVにでようとも、イジメにあおうとも、障害者になろうとも、絶対に変わらない。召し(役割)と賜物がある。


聞いてみた方がいい。「オレのワタシの召し(役割)と賜物はなんですか?」って


あなたの人生のすべての責任は、創った本人。神にあるのだから。あなたが悩む必要は、まったくないのだ本来は


そして全責任を負いにきたのが創造主による一手「十字架」なのだ。いったい「十字架」とは何なのか、知りたい人はいつでも仙川におこしくだあさいm(_ _)m


神TV


神は、テレビにでてくる有名人やお金持ちなどまっっっっっっっっっっっっっっっっっっっったく見ちゃあいない。というのはちょっと言いすぎだけどw、”あなた”を超絶みている。自己肯定感低めなあなたの「心」をめっちゃじっと見てるのだw。神からするとあなたは目もみえぬ言葉も話せぬ乳飲み子みたいなもんなので、心配性のお父ちゃんみたいな感じでべったりとくっついてあなたを見てるのだ


神は心配性かつ好きすぎて赤ちゃんから目を離せない父ちゃんなのだw


いまこのnoteを読んでいる。あなたの心が人生が、生まれかるのかどうかを見てるのだ。戦争とか地震とかダウンタウン松ちゃんの不祥事とかコロナとか、そういうのは神にとってどうでもいいのだw。いやどうでもよくないんだけど、あなたの心がつくりかえられるかどうかの方が、神の世界の霊的な世界のテレビチャンネルでは大注目案件なのだ


障害がある人
障害のある子どもがいる人
いじめにあった人
犯罪をおかしちゃった人
家庭内暴力をうけた人
子どもが死んじゃった人
震災にあってすべてを失った人


もちろん悩むよ


でも神は、「あなたの心」に注目しているのだ


偽物のテレビに注目してる場合じゃない
偽物のメディアに憧れてる場合じゃない
偽物のSNSでいいねを集めてる場合じゃない


本物の神テレビ・神メディア・神SNSの主人公は、まっっっっったく世に注目されていない、まっっったく世に愛されていない、世に生きづらさしか感じていない、ぜんっぜん人生うまくいってない、人の愛し方も愛され方もわからない、、、、そういうあなたなのだ


手のかからない息子と手のかかる息子なら、手のかかる息子のことを心配してめっちゃ見てるし、なんなら更生したときに大喜びしたい。って聖書には書いてあるのだw

不和、不義、怠惰、自己保身、金欠、孤独、焦燥などに包まれてるあなたが、神テレビの大人気番組の注目主人公であることに、本気で気づいたとき


あなたはマジで生まれかわる


それはあなたはの「選択」が変わるからだ


「怒る」という選択が「怒らない」という選択に変わるのだ
「ゆるさない」という選択を「ゆるす」という選択に変わるのだ
「やり返す」という選択を「やり返さない」という選択に変わるのだ
「謝らない」という選択が「ごめんなさい」という選択に変わるのだ
「連絡しない」という選択が「数年ぶりに連絡してみる」に変わるのだ
「無視する」という選択が「笑顔で応える」という選択に変わるのだ


あなたの日々の選択の動機が「愛」に変わるのだ


選択が変わるためには、怒りたくなる、嘆きたくなる、呪いたくなる、運命や家庭環境や自分スペックがないと、ドラマがはじまらないだろw


それらを変えるのは、あなたではない。霊(神の別の姿・聖霊ともよぶ)だ


生まれた時代も
生まれた容姿も
生まれた家庭も
生まれた国も
生まれた性別も


あなたは何一つ選んでなどいないことを、ちゃんと思い出すのだ


神はあなたの「心」をみてる。肩書も年収も見た目も、まったくもって見ちゃあいないw。人はうわべを見るが、神は「心」をみてる。あなたの動機が「愛」に変わるその瞬間を、心待ちにしてる見えない存在がいる


これは。本物の自尊心。自己肯定感の築き方の話である


本物の自尊心・自己肯定感の作り方は、あなたの日々の選択の動機が、すべて「愛」でいられるようにと、あなたを創った神に素直に率直に祈る求めることである

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?