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安楽死(その2)

 日本には安楽死制度が存在しないということは前回述べた。世界においてもアメリカの一部の州、カナダ、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、韓国、スイスと数えるほどである。

 条件もあって、治療法のない難病に冒されて、耐えがたい苦痛を伴っているヒトとなっている。この線引きを厳格に守らなくてはならない。

 死にたいから安楽に死なせてくれというわけには簡単にいかないのだ。またいかせてはいけない。

 安楽死制度というものを社会の議論の場にのせるためには、簡単に安楽死を主張するニンゲンの存在はジャマなのである。難病によって安楽死を選択するヒトや、その家族の心の葛藤を考えることが大事なのだ。

 そしてそして死生観にたいして、ひとりひとりが常に意識を持たなくてはならない。でなければ結局は誰かにたいして、あのヒトは生きていても価値がないから死なせてもいいよね、ということになってしまうのだ。

今日のところはこれまで。ごきげんよう。
この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。

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