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観阿弥名張創座説

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名張と能楽 第三回 観阿弥名張創座についての総括

名張と能楽 第三回 観阿弥名張創座についての総括

 第一回と二回で、観阿弥が名張の小波田で創座したという説に対する香西精氏と表章氏の反対説の問題点について述べました。少し難しかったとの反響もあり、今回は、できるだけ分かり易い表現で総括します。
 創座説の根拠の『申楽談儀』第22条「面のこと」の条文をあげますと、「此座の翁は弥勒打也。伊賀小波多にて座を建て初められし時、伊賀にて尋ね出だしたてまつし面也」です。「伊賀小波多にて座を建て初められし」の「

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名張と能楽 第一回 『申楽談儀』第22条の観阿弥名張創座説をめぐって

名張と能楽 第一回 『申楽談儀』第22条の観阿弥名張創座説をめぐって


①観阿弥創座説の変遷
 能楽は観阿弥(父)と世阿弥親子によって、室町時代のはじめに完成された、謡と舞と囃子からなるミュージカルです。能楽は名張市の宝です。それは、『申楽談儀』第22条「面のこと」の「此座の翁は弥勒打也。伊賀小波多にて座を建て初められし時、伊賀にて尋ね出だしたてまつし面也」の、「伊賀小波多にて座を建て初められし」の「伊賀小波多にて」という副詞句は「座を建て初められし」という動詞を修

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名張と能楽 名張と能楽 第二回 『申楽談儀』第22条の「観阿弥名張創座説」は正しい

名張と能楽 名張と能楽 第二回 『申楽談儀』第22条の「観阿弥名張創座説」は正しい

 まず、昭和45年7月に発表された香西精氏の「伊賀小波多」という論考(『続世阿弥新考』)を簡単に紹介します。
 香西氏は、『申楽談儀』第22条の「此座の翁は弥勒打也。伊賀小波多にて座を建て初められし時、伊賀にて尋ね出だしたてまつし面也」の「伊賀小波多にて」は後文の「伊賀にて」の注記が本文に紛れ込んだものとの推定に基づき、伊賀小波多は結崎座の翁面を求め得た場所に過ぎず、観阿弥は、はじめから興福寺(春

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