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感情の話

「感情っておもしろい。」

と、言う人がいました。
最初はその意味することがピンと来なかったのですが、考え直すと、これはなるほどと思ったのでnoteに書いてみることにしました。

感情(かんじょう)とは、ヒトなどの動物がものごとや対象に対して抱く気持ちのこと。
喜び、悲しみ、怒り、諦め、驚き、嫌悪、恐怖などがある。

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一つの結果に対して、考え方、感じ方は人それぞれです。

多くの人が共感する性質のものが「常識」や「一般的」と言われるものになっていくのでしょう。
共感の中にいた方がはみ出しにくいし、生きやすいと感じる人は多いと思います。

ただ、その人のアイデンティティとなるような部分には、大小あれど誰しもが「譲れない何か」を持っている。
信念とでも言い換えられそうな「譲れない何か」があるから、自分の生き方を選択できる。
自分にはそこまで強固なものはないと思っている人でも、必ず自分で今の人生を選択してきて現在の姿があるのだと思います。

人間関係や仕事においても、他人の「譲れない何か」に触れる時、意見の相違や価値観の違いを感じます。
そしてそこには、感情が乗ってくるのです。

感情が結果の捉え方に対して、どう作用するか。

結果に対して、喜怒哀楽などの感情を向ける。
誰でも自然にやっていることだと思います。
当然、悪いことでもなんでもない、当たり前のことです。

結果には、失敗と成功があります。
人が考えて行動した結果は、その人の価値が集約したもの。
どのような感情を向けるかは自由です。
ただ他者の出した価値に感情的に囚われている時間があるなら、自分の価値を高めることに注力すべきだと思います。

私が現時点で考えているのは「人の考え方や価値観を変えようとしてはいけない」ということです。
いや、変えようとしてはいけないというよりも「変えようとする行為に意味はない」ということです。

他者の出した価値に囚われていても、何も変わらない。
自分の感情次第で、結果に対する心構えは作ることができる。

そうは言っても、

他者との関わりの中で、考え方や価値観が変わることはたくさんあります。

私も多くの人との出会いで、大きな影響を受けて今があります。

人は勝手に感情を持ち、学び、成長するのだと思います。
成長の定義もゴールも人それぞれですから、誰に何を言われる筋合いもない。

考え方や価値観を押し付けて、一時的に無理やり人を動かすことは可能かもしれません。
しかしそれは永続的なものではない。

他者の存在など、参考にすれど気にしすぎる必要はないのです。

冒頭の「感情っておもしろい」という言葉を思い出してみます。

私は、意識して狂って仕事をしています。
凡人の私が、凡人なりに成果を出し、さらには天才たちと渡り合うにはそれしか手段がないのです。

感情に一番囚われているのは自分なのかもしれません。

今、小さな成功と小さな失敗を繰り返し、大きな成功を狙っています。
大きな失敗をするリスクもあります。
その中で成長しているという実感は常にあります。
成長のためには、どんな苦労も厭わない。
それが私の「譲れない何か」なのです。

それを馬鹿にされたら、嫌な気持ちになるし、怒るでしょう。
顔に出さないように我慢しても、内心では怒り狂うでしょう。
それが意味のないことだとわかっていても、怒りに支配されるアングリーボーイです。
逆に単純なもので、認められれば喜ぶでしょう。

感情とはそういう類のもの。
それを「おもしろい」と言える生き方が無性にかっこいいと思ってしまったのです。
私はおもしろいと思っていなかったからです。
むしろ感情を嫌悪して、自分から遠ざけています。
これもまた感情。

感情の話をしようと思いましたが、私がかっこいいと思った人の言葉を思い出した話になりました。

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