「組織内コミュニティが陥る罠と打開策」への質疑応答② ~メンバーの参加の在り方~
今回は主にメンバーの参加の在り方について2つ取り上げます。
コアメンバーとそうでない人の熱量の差をどう埋めればよいか
コミュニティ活動は歴史が積み重なり、メンバーも増えてくるとそれぞれが持っているモティベーション(質問者の言う熱量)のみならず、知的・技術的熟練度の差も広がってきます。
これが具体的にコミュニティにどのような影響を与えるかというと、スポーツを例に挙げるとわかりやすいでしょう。前にも書きましたが、プロ野球一軍の選手が練習をする際に草野球レベルの人が混ざってもついていけません。そればかりか、一軍選手がその人をサポートすることによって練習効率を落とすことも考えられます。これはもちろん練度の劣る人をサポートするのが良くないと言っているわけではありませんが、「お前あいつの面倒見てやれ」と言われた人の100人が100人いい顔をしないことは想像できますね。コミュニティは人助けではなく自分の興味関心のために参加するわけですから、サポートばかりで自分自身の成長や変化を感じられないといずれ疲れてしまうでしょう。
関西学院大学の松本先生は学習塾の公文の運営体制を取り上げ、先生が先生を教え合う「重層的な構造」の重要性を指摘しています。公文の各教室はそれぞれの先生が個人で運営しているのですが、指導法などは公文からの研修やサポートがあります。このサポートの中には、先生が先生同士で教え合うというものがあり「より良い指導をするためにはどうすればよいか」という興味関心に基づいて相互に学習をする構造になっています。
この構造は次のように重層的なものになっています。まず、初めて先生になった人は、先輩の先生から指導法やよくある悩みについてのレクチャーを受けます(自主研)。次に、このような指導をする先輩先生方は「どのように新人先生を指導をしてあげればよいか」についての勉強会をしています(メンターゼミ)。さらに、先生が一堂に会する全国大会があり、良い指導のやり方について広く共有がなされます。このように、新参者と古参者のブリッジや、良い指導法を学び合うという全体の興味関心についての実践が両立するようなデザインになっているのです。
先にも書いたように、練度の低い人の面倒を見ることが悪い事ではありません。コミュニティとして重要なのは、それも実践の一部としながら、目的である興味関心がどのように満足されていくのかが総体としてデザインされている事なのです。皆さんのコミュニティでは実践が特定レベルの人に偏ったものになっていませんか。そこに、多様な人々が関われる重層性はあるでしょうか。
新人はどうコミュニティに関わればいいか
この問いには、二つの視点の回答が必要でしょう。コミュニティ運営者としての視点と、コミュニティ参加者の視点です。
コミュニティ運営者としては、先に書いたような重層的な構造をデザインしていくというのがマクロな回答となります。ただ、そんな中でも新メンバーにどのような役割を担ってもらうかという検討は必要です。私はこれを「参加と実践のデザイン」と呼んでいます。
コミュニティを通じた学習には、言わずもがな参加することが必須です。これはただその場にいればいいというものではなく、メンバーがその場で何らかの役割を果たさねばなりません。新メンバーだからこそその視点が役立つとか、新メンバーであっても果たせる重要な役割があるとか、何らかのポジションを用意してあげることが必要です。このような参加の経路(=実践)があって初めて能動性が芽生えます。ただ勉強会で他人の話を聞いているだけの受け身な状態では、コミュニティに対する貢献感や、学習を通じた自己の変革を実感することができずコミュニティへの帰属意識が薄れていく事でしょう。固い書き方になりましたが、一言で言ってしまえば「ただただ人の話聞くだけの日々が続いたら面白くないですよね?」ってことです。単純に何かやれることがないとつまらないのは、仕事でもコミュニティ活動でも同じことです。
もちろん、やることがあれば何でもいいという話ではありません。会議資料のコピーだけやっていても仕事が面白くないのと同じように、その実践に意味がなくてはなりません。ここでいう意味とは、コミュニティ参加者の間で合意された、コミュニティ活動を発展させることに資する何かです。
同じく松本先生の調査では、看護師の月次検討会において初心者でも発言が容易になるような工夫として、議論のもととなる日報のフォーマットを変更したことが取り上げられています。月次検討会の活性化は看護手法の熟達において非常に重要な役割を担うため、ここで初心者が能動的に参加できるようになることはコミュニティ全体として非常に意味のある事だと言えるわけです。
では当の参加者としての視点ではどうでしょうか。上記のようなケースにおいて積極的に発言する、などの姿勢は求められるでしょう。しかし、全てのコミュニティで適切な参加と実践のデザインができているとは限りません。そこで重要になるのが、自分で参加と実践の経路を作り出すという事です。この為に効果的なのが、見て盗み発信する、違和感に気づく、の2つです。
見て盗むは皆さんもご存じの通り、先輩がやっていることを教わるのではなく、勝手に勉強するという事ですね。門前の小僧習わぬ経を読む、というやつです。もともと実践共同体という概念は、産婆や肉屋、アルコール依存症者の互助会などから「社会的に自ずと形成された関係性から人々が学んでいく様子」を捉えたものです。明示的に何かを教え、教わるというようなものではなかったのです。あなた自身がそのコミュニティに対し可能性を感じるならば、何かを施されるのを待つ前に盗める物は盗むという精神で臨むのが良いでしょう。そしてそこから得た結果をコミュニティに発信していく事で、それが誰かの学びとなり、あなた自身のコミュニティ内での存在感を高めていく事になるでしょう。これはただ偉くなる、というような短絡的な話ではなく、誰かに認められることがあなた自身のアイデンティティ形成に関わるという点で重要な学びのプロセスなのです。そのため、発信することまでがワンセットなのです。
もう1つの違和感に気づく、というものは新人だからこそできることです。実践共同体と言うのは、特定の興味関心に基づいて人々が集まるゆえに、どうしても視野狭窄になりやすいという危険性を持ちます。コミュニティ内のルールや価値観などは、ややもすると化石のように固まってしまい新しい価値観を受容しづらくなります。まだコミュニティに参加したばかりのあなたは、完全なメンバーと言うよりは越境者に近い存在です。何故今のような形なのか、もっと良いやり方がないのか、といった事を積極的に問いかけていく事は重要な参加の方法と言えるでしょう。もちろんその結果、今の方が良いという事もあるでしょう。ただ、それはそれであなた自身がコミュニティの事をよく理解することに資するわけで、全く意味がない事ではないのです。
次回は残りの二つを取り上げます。
・ずっと根性だけでは続かない。継続して活動するためにはどうすればいいか
・この様な活動は今後日本でどうなっていくのか
参考文献
松本雄一. (2019). 実践共同体の学習. 白桃書房.