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2024年は、戦争が起きる原因を明確に知るタイミングじゃないか?

戦争。

ドンパチ、どこか、とお~い国で人がたくさん死ぬ。

国と国の殺し合う戦争は、誰もが忌み嫌い、それを避けようとしているが人類が始まって以来、それを回避する方法がいまだにみいだされない、でいる。

争い、摩擦、衝突、戦争は人類が始まってから誰もそこに終止符を打つ決定的な代案を掲げることができずにいる。

が。

2024年だから、「こそ」その代案を掲げてみようと思う。
(※2024年が人類のターニングポイント、と言う話しは、また別の機会に)

ど・ストレートにいれば、その戦争を0にする、なくす代案は、人間の今までの教育とはまったく異質な次元が違う教育になる。

【エジュケーション。】

その次元が違う教育の詳細をお伝えするまえに、戦争の根本原因を伝えてから、にする。

■ところで・・・

日本人にとっては、物質的には平和が保たれているので、戦争反対!と声高らかに、戦争の根本原因も知らずに、正義を叫び続けている人たちもいる。

これは皮肉だけど、戦争反対!と怒りをぶちまける「こと」自体が、戦争の原因になっちゃう。

なってしまう。(2024年だから、もう言わないと、このことは)

そんなかんだ、で。

それが、どうしても国と国という大きな枠組みだと、無意識に分離して世界をみる人間の特徴から、「自分とは関係ない」と思いがち。

それを日常のささいな、こぜりあい?から、検証、確認してみたい。

■よく「あるある」だよね?

最近、友人が交流会を開き、そこで、ある事件が起きたらしい。

その事件は、交流会に参加した人が自分が主催しているのに、「荒らされた」と。

荒らしやがって、俺の場を!という、ネット上でも炎上商法があるけど、場を荒らすやつ、出現っ!という。

その悪を制するかの如く、正義の拳を振りかざして、自分の「被害者っぷり」を正当化しようとしていた。

自分が仕切っているんだから、勝手にやるなよ!という具合。

主義主張せずに、我慢して、相手に合わせて、「うん、うん、そーだね」という参加者にとっての理想像があるか。

どうしたって、何か意見、主張すれば、必ずぶつかるのは、至極当然のことだと思うが・・・。

その主催者の話しを聞いて「そんなこともあるよな~」と思いながら、数日がたち、また別の友人から面白い連絡がきた。

あの交流会に参加した別の人から、その荒らしたという人物に対して、
「とても良い役割をしてくれてます」という感謝の声があがった、とのこと。

ん? へ。は?

その交流会の出来事は、一緒のはずなのに、

場を荒らす人 VS 良い役割をしてくれている人

という対立構造が生まれている!

どっちが、本当で、どっちが、偽物なんだろう?いや、誰の意見が正しい、というべきか・・・。

正しさも、間違いもない、ということは哲学的な言葉としては知っているが、実際には、どうだろう?

人間みんな、今この瞬間に、ドンパチの戦争をしている。

しちゃっている。

■「韓国の反日感情」と「日本の嫌韓」

この2つの対立構造は、韓国と日本に似ているなぁ、と思ったので、こうして文章をしたためている。

韓国には大邱(テグ)に寿城池という水を貯える貯水する場所がある。日本人の水崎林太郎さんが韓国のために私財をも投じて、作ったとされている。

水崎林太郎追慕祭(2022年4月2日)|木下 大資 (note.com)
(※同じnoteで発信している方の参考資料を貼っておくね)

寿城池(すそんいけ)には、イベントで行ったことがあるが、かな~り広いスペースで、桜が咲くととても綺麗な場所になる。

この池は、総工費が現在の価格にすると10億円以上!

超ビックリ!国家事情レベルの開拓で、この貯水池を作ることが、田畑に水がいきわたり、その土地を潤し、生活のバージョンUP、進化、発展が半端ないことも想像できる。

地域の人たちと共に協力して作ったとされており、いまだに水崎林太郎さんのお墓が彼の遺言で、韓国式で、その池の近くに埋葬されていることからも、

韓国にとっては、「有難いことをしてくれたありがとう~!」「地域に役立ててくれている良い役割をした最高の事業だ、日本ありがとう!」と

感謝感激、雨あられ状態になる?はずだが・・・。

■韓国人の観点

その大邱(テグ)に寿城池を作った時代が、日本が韓国を統治していた時代だから、別の観点も存在している。

その代表的なのが、李相和さんの詩に表現されている。

文学散策/奪われた野にも春は来るか 李相和(リ・サンファ) (korea-np.co.jp)
(※参考資料)
李相和さんの有名な詩に、

今は他人(ひと)の土地―奪われた野にも春は来るか?

というのがある。

もちろん、他人(ひと)は、日本のことになる。

つまりは、どの土地という寿城池(すそんいけ)は、奪われた土地である。

韓国側から、みたときには、寿城池(すそんいけ)は、奪われた土地であり、悲しみの大地になる。

なってしまう!

寿城池(すそんいけ)に対する、韓国側の「悲しみの大地」なのか?

それとも、良い役割をしてくれた感謝、感激、雨あられ、の希望の大地なのか?

どっちが正しくて、どっちが間違っている?いや、間違い、正しいは、ない。と哲学的な観点から、頭では分かっているが・・・。

感情が許さない、その感情が・・・。

という怒り、悲しみ、を共に享受できれば、いいんだが、その民族感情てな
正しさは、永遠になくすことは、出来ないようにも思われる。

交流会の「あるある」が実は世界だった

最初の交流会の話し、と、日本と韓国の確執。何か似ていない?

あ、なんか、繋がるなー、と思って、繋げてみる。

場を荒らす人 VS 良い役割をしてくれている人

場を荒らす日本 VS 良い枠割をしてくれている日本

この対立構造がみてたかなぁ、と、問いかけてみる。

そう。

交流会の主催者は、まるで「場を荒らすんじゃない!」という日本に占領された悲しみを表現しているかのような韓国の観点で、

別の交流会に参加している人からみると、韓国に貯水池を作ってくれた「良い役割をしている」という日本が素晴らしいことをした、という観点になる。

じゃぁ、どっちが正しくて、どっちが間違っているの?
という質問が頭をもたげてくるけど、

結局は、正しい、間違いもない。

ただ、双方に、観点の違いがあるだけ、というシンプルな整理が出来ると思う。

そして、その双方の違いが生まれる背景には、教育がある。

もちろん、オギャー!と生まれた瞬間から、嫌韓が生まれたり、反日感情が発生するわけじゃない。

教育。

どんな情報が入っているのか、それだけ。

その情報を入れると、こんな反応がある、という人間は、今、AI、人工知能に負ける時代がきている。(だから、2024年を強調しているが)

否定を恐れずに言うと、交流会の出来事は一緒だが、

ムカつく!場を荒らされた!こいつムカつくヤツだ!という感情を選択できず、

また、逆もしかり。

良い枠割をしてくれている人だ、ということ「すら」も、選択できない。

マイナス感情なら、コントロールしたい、したがるけど、プラス的な、良い役割をしてくれた、ということも、

コントロールできない、ことになる。
(※これは、人間共通の倫理道徳の思い込みなので、ここで、そうなんだー、と納得できる人は少ないと思うけど)

じゃぁ、一体、どうすればいいの?という質問が出てきそうなので、それを伝えてみる。

■戦争が起きる原因をしり、その原因を突破する方法

この対立構造があった、ということは先ほど、伝えたけど、
    ↓
場を荒らす人 VS 良い役割をしてくれている人
場を荒らす日本 VS 良い枠割をしてくれている日本

実は、どっちとも思い込みであり、思い込みであるがゆえに、

「場を荒らす人」と認識した人も、「好い役割をしてくれた人」と
認識をチェンジすることが、

本当はできる。

ほんとうは、と言う所がミソだけど、実際には、なかなか感情が許さないからできない。

それが出来てたら苦労しないだろうし、それが出来たら、嫌韓や、反日感情などが、とっくの昔にクリアされている。

だ・か・ら・難しいことでもある。

難しいのは、その変化をする技術がなかった、だけとも言える。

変化するのは実は簡単で、技術があれば、できる。

できちゃう。

月に行くには、ロケットがあれば、いけるが、ロケットの技術がなく、自転車では、月には行けないように、

技術があれば、できる。

人間が変化できる技術があれば。

「次元が違う教育」ということを冒頭で話したが、今の教育は、300年前の「自我(エゴ)」を助長させる教育になっている。

つまりは、宇宙、自然、歴史文明とつながって、つながりあい、生きているのに、

「私だけ」が存在して、個人主義をはき違えて、ただのわがまま主義的な人間を大量生産してしまった。

空気吸って生きてんだから、その空気は植物が出しているし、その植物は、地球という環境、太陽という光がないと、結局は、酸素を出さないし。

その酸素がないと人間は生きてないんだから、植物、地球、太陽と、つながっているのは、

九九の掛け算ができない小学1年生でも、分かるのに!

分かるはずなのに、大人たちが、しょーもない知識を振りかざして、これが知的だよね♪みたいな

くだらない世界観、成功の定義を無意識に発信し、へんてこな部分、恐怖、不安出発でしか生きれない

フィヤーズパワーで、人を動かすような社会、時代を作り上げている。

何が言いたいの?結局は

ちょっと最近の人間の尊厳を毀損し続けている教育に怒りを感じ、その怒りをぶちまけることで、戦争が起きてる、と慌てて、軌道修正をし、冷静になって、文章の続きをしたためるが、

何が言いたいの?ということだけど、

つまりは、さっき伝えた対立構造の「違い」を融合するには、

すべての正しさを0化する、一切なくす、ことが必要になる。

つまりは、(つまり、ばっかり言っているな、今回。w)

無、空、サムシンググレート、タオ、言葉では何でもいいんだけど、悟りを量産する教育が、急務になるってことが言いたい。

なので、仏教の悟りが一般的な主流のイメージになると思うけど、

それでもいいし、

たくさんの情報が溢れているので、ご自身で調べてもらいたい。

「悟り」「教育」とググってもいいし、チャットGPTに聞いてもいいし。

正しさの情報で、ぶつかりあって、戦争しているので、その正しさを全部、いったん、なくす、捨てる、ことが悟りの境地になると思う。

その人間が抱えている正しさのボスキャラ的な存在が、

「自分がある」という存在している、という思い込みになるけど、それが思い込みということに気づけたら、

思い込みは自分で創っているので、神のように創造が自由自在になり、

当たり前だけど、

場を荒らす人 VS 良い役割をしてくれている人
場を荒らす日本 VS 良い枠割をしてくれている日本

このどちらでも、選択できるようになる。

自由自在にね。

■プチまとめ

昨日は、ほとんど、寝てないため、疲れているので、もう文章化するのが難しくなってきたので、プチまとめをしてみる。

2024年は、戦争が起きる原因を明確に知るタイミングじゃないか?という問いから、

戦争が起きる原因は、「正しさ」だった。その正しさの親玉、ボスキャラは、自分が存在している、という思い込み。

その自分がない、という悟り、無、空、という状態からは、自由自在に

正しさを選択できる、もちろん、間違い!ということも、楽しんで選択できる!
むかつくやつ!とマイナス的な感情をも選択できるし、
役に立つ!素晴らしい!というプラス的な感情をも選択できる。

戦いを、出会いの愛のプレートにチェンジできる認識。

その認識によって、戦争が起きる原因を明確に知ることができ、その戦争の根本原因をクリアできる、解決すらもないぐらい、問題がもともとなかった、という認識になる人が増えることによって、

戦争が0になる。

なってしまう。

そんな技術が日本から誕生しているので、興味のある方は、ぜひ。
nTech(エヌテック、認識技術、観術)とは何!? | AI時代の働き方2.0・生き方2.0 (otahiroyuki.com)













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