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週刊 表の雑記帳 第一一頁_文化や歴史が国や都市の運命を分ける時代、ふるさと納税の更なる可能性_SCALE by Geoffrey Westを読んで

 今週の目についた報道はtwitter参照。

全てはスケールに支配されている

 Geoffrey West氏の著書『SCALE ~The Universal Laws of Life and Death in Organisms, Cities and Companies~』を読んだ。

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 数年前の本だと思うが、たまたまあるきっかけで読み始めた。要旨としては、生物の様々な測定可能な指標(例えば体重に対する代謝速度等)は、それぞれの対数を軸にグラフを描くと興味深いことに生物間で同じ直線上にプロットされる。とてもシンプルで美しい関係性を描出する。更に興味深いことに、生物においてみられるこうした傾向が、都市や企業といった無生物においても同様にみられる。こうしたことが実際にデータやグラフを示しながら面白い語り口で書き進められていくので、読むのも苦ではなかった。読了後、「それで、なに?」という感じに一瞬なるが、頭の体操には良かった。(数年前の書籍なので)著者にその気はなかったはずだが、図らずも武漢ウイルスに襲われたこれからの世界を考える上でも示唆に富む内容であった。

異なる生物も実は単に互いの拡大版か縮小版である

 まず簡単に本の内容を紹介すると、最初は生物の話から始まる。上述したように、様々な生物の体重に対する代謝速度とか心拍数とかを調べると、両軸とも対数にしてグラフを描くときれいに直線上に並ぶ。あんまり本の中身を晒すのも考えものなので、これら二つの例だけ以下に示す。

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 上のFIG. 1というグラフが、横軸に体重、縦軸に代謝速度をとり、様々な動物をプロットしたもの。下のFIG. 10というグラフが、横軸に体重、縦軸に心拍数をとったもの。体重さえ分かれば、その動物の代謝速度や心拍数も自ずと分かるのだ。全て同じスケールの上に乗ってくる。こうした傾向が、生物の測定可能な指標において随所にみられるということが、実例を交えて示されていく。

都市や企業も実は互いの拡大・縮小版に過ぎない

 その次に、話は都市や企業に発展する。都市や企業は無生物であるにも関わらず、生物と同様に上述のような傾向を示すのだ。都市も企業も人が営むもの、よって生物のような特徴を示すのではないかと論じられる。例えば都市では、都市の大きさ(人口)に対するガソリンスタンドの数、レストランの数、収入、犯罪数、GDP、特許の数、歩く速度といった測定可能な指標が、人口の異なる様々な都市において生物と同様の傾向を示す。企業でも同様に、企業の大きさ(従業員数)に対する純利益、粗利、純資産、売上といった指標が同じ傾向を示す。少しだけ以下に例を示す。上のFIG. 3のグラフは、横軸に都市の人口、縦軸にその都市の特許数をとりプロットしている。下のFIG. 33のグラフは、フランス、ドイツ、スペイン、オランダにおいて、横軸に都市の人口、縦軸にその都市のガソリンスタンドの数をとり、それぞれの国の都市をプロットしている。

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 都市の文化や歴史、成り立ちが全く異なるにも関わらず、測定可能な指標はほぼ都市の大きさすなわち人口によって決まる。つまり東京も大阪も名古屋も京都も、訪れれば全く違う街だと感じるし実際全く違うが、測定可能な指標の観点から言うと、全てそれぞれの拡大版か縮小版と言える。

 そして重要なことに、この法則は同じ国の都市システムにおいてしか成り立たず、異なる国同士の都市システムでは成り立たない。日本の中の比較において、東京、大阪、名古屋、京都はそれぞれが互いの拡大版や縮小版だが、同じ線の上に米国の都市は乗ってこない。米国の中における都市の比較にて、別の直線が引かれるのだ。これは例えば同じ大きさの都市でも、日本の都市よりも米国の都市の方が特許の数は多いが、一方で犯罪の数は日本の都市の方が少ない、といった簡単な事例からもすんなり理解可能だろう。

文化や歴史で住む場所を選ぶ時代に

 これは人間の活動の傾向が世界のどこでもさほど変わらず、自然と同じような法則に則って都市を形成していることを意味するが、これは同じ国の中でしか成立しない。つまりその国の文化や歴史が、その国の都市がどのようなスケールに乗るかを決めている。更に言うと、その国の中である程度同じ大きさの都市であれば、測定可能な指標の機能としてはほぼ同じで、違うのは文化や歴史や成り立ちということになる。自分が都市に求める機能が分かればそれを満たす都市は人口からすぐに割り出せるので、その中でどこに住みたいかは、文化や歴史や成り立ちで決めれば良い。

 まだ収束はしていないが、武漢ウイルスによる死者数が日本やその他のアジアの国々で現状著しく少ないことが、一部で言われているようにもし本当に文化や生活習慣の違いに起因するならば、これからはそういった測定できない要素が都市や国の命運を分ける時代になるのかもしれない。

地方創生のヒントもここに隠されている

 もう一つ面白い視点は、都市が大きくなる程効率的になるということ。これは例えば上のFIG. 33で示した都市人口に対するガソリンスタンドの数を表したグラフから分かる。グラフの対角線を走る点線が傾き1だが、どの国の線もこの点線より傾きが緩い。つまり、人口の増加率に比してガソリンスタンドの数の増加率は小さいので、人口の多い都市の方が単位人口あたりより少ないガソリンスタンドの数で賄えているということになる。

 これが真であるならば、地方創生のためにはやはり地方にたくさんお金を回す必要がある。人口が少ない地方の方が、街としての効率が悪いからである。効率的な大都市で大きく稼いで、それを地方に回して非効率な地方を活性化する。その意味では、ふるさと納税は非常に良い制度かもしれない。あとはそれで集めたお金をどう使うかだ。その地域を活性化するために使われねばならない。ふるさと納税が、集めたお金の使い道をより明確にして、つまりクラウドファンディングのようなイメージでお金を集めて、事前に合意された使い道の通りに地域活性化のためお金を使っていくような制度になると面白いのではないだろうか。地方創生のためふるさと納税がもう一歩進化することを期待したい。

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