グラジオラス
木曜朝はくもり。Planar 1.4/85 + Z5 で。
昨日と同じカメラとレンズなので少しでも違うカットになるよう意識してみる。そういうのも楽しみだったりする。
アジサイもこの花は撮ってなかったよな、というのを探す。
写真だけ見てる人にはたぶんわからないと思うけど。
ここの滑り台はアジサイやアガパンサスと絡むけど絡ませようとすると無理な体勢になったりする。それもまたよい。
あまりに不審者な感じなので早朝でないとできないわ。
自転車置き場ってわりとおもしろいのよね。撮りたくなる。
集合住宅って魅惑のエリアだと思う。
クチナシが植えられているところにもコバンソウ。生垣には雑草がつきものである。
こっちは花壇のグラジオラス。
グラジオラスも初めて見たときは感動した。立派な花が整列して咲く様はたいへん美しい。
これは曲線になってるけどそれがまたいいではないか。
グラジオラスって名前がまたかっこいい。ラテン語で小さな剣って意味らしい。
アヤメ科なのね。そう言われたらわかる気がする。
ナナカマドの葉が一部赤く色づいている。これはなんでだろうね。
毎年こうなるんだったっけ。
今日は車でとおりがかった別の場所でもナナカマドがこんなふうに一部赤くなってて目をひいた。
昨日、自分が帰る家がわからなくなったおばあさんがいた。そのおばあさんが困っておられるのを見た女性が親切な方で、一緒に乗っていたバスを降りて手がかりを探しておられた。
バスの運転手さんも親切な方だったそうで、おばあさんが口にした住所だと路線が違うと教えてくれたようで、親切な女性はわざわざ一緒に降りてどうにかして差し上げようとされたらしい。
たまたまおばあさんはうちに来たことがあることを思い出したようで、それでその女性がうちにくれば何かわかるのではないかと入って来られた。
そのおばあさんにはかつてスイセンがきれいに咲いてたからといただいたことがあった。そういう記憶がおばあさんにも残っていたんだろう。
うちに来たことで、おばあさんの住所がわかった。
ちょうどそこにたまたまパトカーが通りがかったので、助けを求めた。
認知症の方が迷っておられたら、やはり頼りになるのは警察である。
かつて近所のおばあさんが徘徊されていたときも、オレたちでは何もできず警察に委ねたことがあった。
それでも周囲が認知症の方を受け入れ、情報を提供することは必要なことだとつくづく思う。
それにしても親切な方というのはおられるものだなあと心があたたまる出来事だった。
世の中まだまだ捨てたもんじゃない。
うちの庭でもグラジオラスが咲いてくれた。
ここ数年、葉っぱしか出てこなくて、花が咲いてなかった。
まだまだ捨てたもんじゃない。
目立たないように木の枝を支柱として丈の半分くらいの高さまで添えてみた。
このまま整った状態を少しでも保ってくれたら、と思う。
雨風で倒れてしまったとしても、倒れたまま咲き続ける姿もよく見る。
たとえ脳が萎縮してしまったとしても、足腰が立たなくなったとしても、人だってなお生き続ける。
パトカーに乗せられたおばあさんは笑顔で手を振ってくれた。
いくらか老いが進んだなとは思ったけれど、オレが知るスイセンをくれたおばあさんだった。
オレも手を振ったら、発車するまで笑顔で手を振り続けてくれた。
親切な女性も助けようとしたけれども、実は困っておられたと思う。
解決して、ほっとしておられた。
親切心というのも、かえって自分の時間を奪うことになるし、面倒なことに巻き込まれてしまうことが多々ある。
面倒なことになるのがわかっていても、きっと手を差し伸べられたんだろうと思う。
人って、面倒なことが嫌いってわけでもないのかもしれない。
何もないより、ちょっとくらい面倒なことがあったほうがいい刺激になるのかもしれない。
一昨日の会合で、今期から役をすることになった方が、やるからにはしっかりやりたいと思いますので、よろしくお願いしますって清々しく挨拶されていた。その気持ち、わかるなあって思った。そして、その挨拶をされてた方は頼りになる人だなって思った。
なよなよせずに腹をくくった感じが出てる人ってカッコイイ。
見習いたいなと思った。
倒れたって咲き続ける花に強さを感じるけれど、グラジオラスはすぐ倒れてしまう弱さと、倒れても咲き続ける強さの両方を持っている。
そして、後姿がまた、美しい。
整然と並んで順に花開くグラジオラスは剣のごとし
Carl Zeiss Planar 85mm F1.4 / Nikon Z5
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