私と吃音について⑨(大学院進学)
私は大学から、同じ大学の大学院に進むことにしました。
当時やっていた勉強を、もっと深めたいという気持ちもありましたが、就職して、ちゃんと仕事をする自信が、なかったというのも大きな理由です。
当時、私は「緑化工学」という分野の勉強や実験をしていました。
簡単に言うと、「植物の生育の難しい所をいかに緑化するか」という、緑化の技術を研究する分野でした。
私の師事した先生は、その中でも「斜面の緑化」というのを専門にしていました。
斜面というのは、特に急斜面は、ほっておくと崩れるばかりで、緑化どころではありません。
そんな所を、いかに緑化するかという、研究をしていました。
大学院では、一つのテーマを二年間かけて取り組みました。また、英会話スクールにも行きました。
英会話で思い出すのは、そこでのスピーチコンテストに参加したことです。
私は英語が得意ではありません。むしろ、大学受験でさんざん苦労しました。大学入学後も「英検」の受験などを繰り返し、ようやく高校レベルくらいまでいけたかなという感じでした。
スピーチコンテストの準備として、日本語で内容を書きだし、それをスタッフの人に指導してもらいながら、英語に直します。そして、それを暗記するという作業をしました。
理想を言ったら、暗記などしなくても英語で考え、しゃべれるのが一番です。しかし、そんな英語力は無いのでやむを得ない方法でした。
スピーチの内容は「吃音と共に生きる(TO LIVE WITH STUTTER)」でした。
英語は決して、うまくなかったと思います。録音テープがまだありましたが、恥ずかしくて聞けません。
ただ、吃音者の私が、どもりながらこんな内容を話したことから、大きな拍手を頂くことができました。
賞として、「特別賞」をもらいました。
吃音であってもスピーチはできるし、人々に感動を与えることができる。
そんな思いを強く感じることができた出来事でした。
録音テープには、1992年と書いてありました。
今から、28年前の話になります。
大学院は、2年の修士課程のみで、就職する準備も始めました。
就職については、次回に書きたいと思います。
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