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「一人一人ができること」の効果のほど

 SDGs、地球に優しい、エコ、… そんな文脈でしばしば出てくる殺し文句が「一人一人ができること」。それをやれば「地球は救われる」んだと、「未来が変わる」んだと。
 本当でしょうか?(たぶんウソだろうな)では、その効果のほどを検証してみましょう。
 その言葉、元々は地球規模の問題だったものを、個人レベルの問題に小さくしているわけですが、同時に社会制度の問題を精神論にすり替えています。そして結果として「人に安心感・満足感を与えるだけで、全体としては何も変わらない」ことになりがちです。

  制度改革 ⇨ 精神論
  持続性  ⇨ 安心感
  問題解決 ⇨ 自己満足

 具体的に見てみましょう。
 たとえば、ペットボトル・リサイクルを推進する一方で、ペットボトル消費量は増えるばかりです。リサイクルといってもペットボトルとしてリサイクルしているわけではありませんから、ペットボトルのほとんどすべては新しいものですが、リサイクルしているという安心感からでしょう、消費量は増える一方なのです。
 さらに困るのは、キャップ・アート。もっとひどいのはプルタブ回収。子供の競争心を煽り、無駄遣いを誘発して、ペットボトルとドリンク缶の消費量を増やすばかりです。それでいて、リサイクルしているという安心感・満足感を子供に与えています。プルタブ回収に至っては、車イスに交換するという点において、子供に社会貢献しているという誤解を与えています。そしてそれに伴う満足感を利用しているという点において反教育的だと私は思います。

 あるいは、レジ袋有料化によって見えなくなったものがあります。それはスーパー・コンビニのほとんどすべての商品がレジ袋より遥かに大量のプラスチックで包装されていること。トレイ+ラップだったり、二重包装だったり。
 先日50枚パックの使い捨てマスクを買ったら、プラスチックで個包装されていました。いちいちプラスチックを開けるのも面倒だし、一部は確実にマイクロ・プラスチック化するだろうことを考えると賢い方法には私には思えませんでしたが、その方が売れるということなのでしょう。

 前の 記事 にも書きましたが、効率アップ・省エネしても浮いたエネルギー・資源・お金は余すことなく使われます。資本主義下では必然です。「一人一人ができること」をやったところで何も変わらないのは、それと同じ。でも「一人一人ができること」は人の心に踏み込むだけタチが悪いと私は思っています。

◇      ◇      ◇

SDGs と向き合う方法 〜  
▷ 気候変動の回で何を語るか?   ┐ ▷ エコロジストの3つのベクトル
▷ 何をもって持続可能を言おうか? ┼ ▷ 温暖化した世界で生きる   
▷ 「一人一人ができること」の効果 ┘   + リハーサル動画     

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