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何をもって持続可能を言おうか?

2021 SDGs 高校夏期講習」というタイトルで SDGs の目標の1番から17番までを順に「教員同士で討論しながら学ぼう」という企画があります。今年の8月1日~17日の毎日1つづつオンラインで行います。そのうちの「#13 気候変動に具体的な対策を」(8月13日)で登壇することになりました。
 同じ回で登壇して一緒にディスカッションする人があと二人、どちらも民間企業の方です。一人は大手メーカーの方で、もう一人は伝統産業の方です。その日のディスカッションに備えて、自己紹介を兼ねて、いま考えていることを記事にしました。前にも1つ 記事 を上げましたが、それに続く第2弾です。

森はどれだけ二酸化炭素を吸収するか?

 原始の頃、地球上の多くは森に覆われていた。その後、農業が始まり、木材を使うようになり、都市化が進み、現代は原始の頃に比べて植物の量が大きく減った。そして地表の植物が減った分だけ、大気中の二酸化炭素が増えた。
 一方で人間は地中から石炭・石油・天然ガスを掘り出して、燃やした。熱を使うために直接燃やす場合もあれば、他の用途に使って最後にゴミとして燃やす場合もあったが、地中から化石燃料を掘り出した分だけ、大気中の二酸化炭素が増えた。
 炭素の流れ(大気中の二酸化炭素が増えたり減ったりする要因)を、この2系統に分けて考えてみよう。系統A:地表の植物、系統B:地中の化石燃料である。そうすると「化石燃料を使って発生した二酸化炭素を森に吸収させる」という話の無理が見えてくる。

 系統A:地表の植物には上限がある。地表が植物で埋め尽くされたらそこで終わり、それ以上は増えようが無い。そしてその上限とは、原始の頃に地表が森に覆われていた、その状態が上限だと捉えればよい。そしてそう考えると、植物が吸収できる二酸化炭素は、かつて森を切り開いて減らした分、そこまでだ。すなわち元に戻ることが上限で、系統B:地中の化石燃料由来の二酸化炭素を吸収する余裕などあるはずがない。
 もちろん、うっそうと茂った森の時代を基準にするのではなくて、森が失われたハゲ山の時代を基準にするなら、一定量までなら「化石燃料由来の二酸化炭素を森に吸収させる」という言い方をすることは出来るだろう。けれども、それは一時的な話だ。継続的に使い続ける化石燃料に対しては適用できない。森が無限に拡大することは無いのだから、化石燃料を使い続ければ大気中の二酸化炭素は確実に増えるのである。
 念のため書くが、数千万年単位で考えるなら、系統A:地表の植物を経由して系統B:地中の化石燃料に戻ることはありうるだろう。けれども、我々に残された時間は数十年、せいぜい数百年なのだから、そんなに遠い未来を語る意味はない。

 「化石燃料を使って発生した二酸化炭素を植物に吸収させればカーボン・ニュートラル」というのは、まさに「木を見て森を見ない」議論である。Aさんが森を切り開いて、Bさんが化石燃料を燃やす一方で、空き地に木を植えたとしよう。この場合、Bさんが排出した二酸化炭素は「プラスとマイナスで、合わせてゼロ」と言えなくもない。でも、本当にその計算で良いのか?

 Bさんが木を植えられたのは、Aさんが木を切ってくれたおかげだ。Bさんがヒーローなら、Aさんも同じくらいにヒーローか?
 そうだそうだ、Aさんは森を切り開いて材木を作るなり食料を作るなりしたのだから、それも良いことだ。しかもそれをBさんが木を植えてカバーしてくれたんだから、AさんもBさんも2人とも素晴らしいじゃないか、と。

 おいおい、冷静に全体を見てくれ。結局のところ、2人分合わせて見てみると、Bさんが燃やした化石燃料の分だけ二酸化炭素が増えているよ。
 そりゃそうだ、系統A:地表の植物には上限があるんだから、系統B:地中の化石燃料由来の二酸化炭素を吸収するかのような計算自体が現実とズレているんだよ。

炭素の流れ

効率アップを埋める者

 メーカーが二酸化炭素を出さずに製品を作ることはほとんど不可能だ。そこでメーカーが言えるのは「他のに比べれば良い」ということだ。言い換えれば「この製品よりもダメなものがある(または、ありうる)」という、その点だけだ。メーカーはそれをもって「持続可能(サステナブル)」と言っているに過ぎない。
 典型的な言い方は「従来の(もしくは他社の)製品より効率が良い省エネである」という言い方だ。そこだけ見ると、なるほど良いことのように見える。けれども、どうだろうか。一般的に言えば、効率が良くなれば、その分だけエネルギーなり資材なりお金なりが浮く(余裕が生まれる、節約できる)ものだが、問題は浮いた分を人はどうするか、だ。
 結局のところ、消費者の立場で言えば他の欲求を満たすために、生産者の立場で言えば他の需要に応えるために、浮いた分を人は他の用途に使うに違いないのである。車の燃費が良くなれば、より遠くに、より頻繁に出かけたり、より大きな車を選んだりするだろう。エアコンの性能が上がれば、それは相対的に値段が下がるのとほぼ同じことなのだが、そうなると他の部屋にもエアコンをつけるなりするだろう。あるいは、全く別のことにエネルギーや資材やお金を投入するだろう。結果として少しも省エネにならないのが常である。
 さて、それは宿命なのだろうか?

 企業としては売らなきゃいけない。そうでなければ、企業は存続できないし、社員を雇えない。
 自社が売らなければ、他社が売るだろう。だから自社が作らなければ売らなければ、その分だけ地球環境が守られるかというと、そういうことにはならない。

 ところで、企業のこの行動は、企業として当たり前の振る舞いなのだ。「より良いものをより安く」が資本主義の根幹である。効率アップも省エネもその一環だから、それは間違いなく成功事例であり、その成果をアピールするのはそれで良い。(← でも、それを「持続可能=サステナブル」と言ったら、それは大きな間違い=明らかなウソだ)
 また競争するのも資本主義では当然のことだ。競争するからこそ、より良いものが作られる。更なる効率アップ、省エネが図られる。(← こうして浮いた分は余すことなく使われる
 あなたは言うかもしれない。「自分は浮いた分を無駄遣いせずに、貯金する」と。けれども、貯金した分は金融機関が投資・融資して、結局のところ世界のどこかで確実に使われる。それは個人の考え方の問題ではなくて、社会の仕組みの問題である。

 さて、ここまで考えてきて、皆さんもお気づきだろう。資本主義の下では温暖化を止められないのではなかろうか、と。持続可能(サステナブル)な社会は、それができるとしたら、資本主義以外の社会においてだろう、と。そのように考えた方が良いんじゃないだろうか。

掘り続ける人々

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 原因はここ(↑)にある。(※ 元データは資源エネルギー庁のサイト → https://www.enecho.meti.go.jp/about/whitepaper/2019html/2-2-2.html にあります)
 掘っちゃったものを「使うな」と言ってもムリ。使った後に「ゴミ(CO2)出すな」と言ってもムダ。使った分(消費量)より、捨てた分(排出量)より、掘り出した分(生産量)を見よう。
 さて、持続可能(サステナブル)な未来はどこにあるか? グラフの伸びが小さくなるとき? それとも平らになるとき? いや、違うよね。「持続可能(サステナブル)」と言うからには、生産量はゼロじゃなきゃ成立しないはずだよ。
 脱炭素社会、カーボン・ニュートラル、持続可能(サステナブル)… いろんな言い方があって、立て続けに聞いていると、ふと安心した気持ちになりそうですが、いや、現実を見てください。化石燃料の生産量も使用量も、二酸化炭素の排出量も、大気中の二酸化炭素濃度も、増え続けていますよ。
 でも政治家も企業も、みんなこぞって言うんですね。「我が国は(ウチの会社は)二酸化炭素を減らす(出さない)」と。個々のケースも怪しいと私は思っていますが、全体として見ると明らかなウソです。そう受け取った方が現実的だと私は思います。

Goal は目標なのか?

 SDGs は「Sustainable Development Goals」の略称で「持続可能な開発目標」と訳されている。
 ところで「Goal」は、まさに日本語で言うところの「ゴール」、すなわちサッカーでいえば「それを超えたら得点が入る線」、陸上競技や水泳でいえば「そこにたどり着いた順番で順位が決まる線」、それが第一義的な意味での「Goal」だろう。一方で、結果としてそこまで到達せずとも「目指す地点」のことを「Goal」と呼ぶこともあるようで、その場合には「目標」という日本語訳をあてるようだ。
 さて、ちょうどいま東京オリンピックの真っ最中なので、この2つの意味での「Goal」をオリンピックと絡めて考えてみたい。もちろんサッカーで得点が入れば「Goal!」だし、マラソンで順位はどうであれ完走すれば「Goal!」だ。これらは第一義的な意味での「Goal」だが、もう一方の「目標」としての「Goal」は何かというと、「金メダルを取りたい!」がアスリートとしての、オリンピック選手としての「Goal=目標」と受け取れば良いのだろう。
 SDGs はもともと「目標」なんだから、オリンピック選手が「金メダル取りたい!」と言うのと同じようなものだと思えば、実現可能な目標であれ夢物語であれ、目標が達成されようがされまいが、「ガンバレ」と、あるいは「勝手に言ってろ」で済ましても良いのかもしれない。
 17の競技種目があって、選手と解説者と市民がごちゃ混ぜになって、勝った負けたで一喜一憂し、人生を語り、未来を語る。そうは言っても、みんなが一斉にお祭り騒ぎ・バカ騒ぎになっちゃマズいよね。

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SDGs と向き合う方法 〜  
▷ 気候変動の回で何を語るか?   ┐ ▷ エコロジストの3つのベクトル
▷ 何をもって持続可能を言おうか? ┼ ▷ 温暖化した世界で生きる   
▷ 「一人一人ができること」の効果 ┘   + リハーサル動画     

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