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限りある人生、何をする?(哲学対話)

参加者4名 6/29(土)13:00〜14:50

 初回(2024.6.19)の「試運転」(テーマ決め)に続いて「人間らしさって何だろう?」をテーマに対話したばかりなのに、もう1学期が終わりに近づいてきた。1学期の期末試験1週間前を避けながら、もう1回やるとなると、土曜日にやるしかないということで、2回目(2024.6.26)をやった3日後(2024.6.29)に再びやることにした。
 話し合うテーマについては、前回に「その場に案を持ち寄って、その場で決めよう」ということにしてあったので、その通りに話を始めた。
 時間通りに集まったのは(私を入れて)3人、それぞれが用意してきた案を、考え方とともに披露した。

  • 人生の意味について考えたい → 限りある人生の中で何をするか?

  • 宗教は人生にどのように関わっているのか? 関わるべきなのか?

  • 「頑張る」ってどういうこと? ← もうすぐパリ・オリンピック

 3人でお互いの胸の内を聞くうちに「限りある人生の中で何をするか?」をテーマに話をしようということになって、話し始めた。途中からもう一人加わって、4人で話を進めた。

 当然のことながら、話は「死」にも及ぶ。「限りある人生」とはつまりそれを意識してのものだけれど、それはこの話の大前提であって、メインはあくまでも「何をするか?」だ。そんな風に話が進んだ。
 さて、「何をするか? やりたいか?」が「自分のためなのか? 世のため人のためなのか?」と、そんな視点も出てくる。そして「その2つが対立するものなのか? 共存するものなのか? あるいは同じもの(の表と裏)なのか?」、こうして堂々巡りかとも思えるような展開になっていく。
 いったん「限りある人生の中で何をするか?」→「楽しいことをやる」で落ち着きそうになった。それはそれで間違ってはいないだろうし、それが本質かもしれない(だったらもっと掘り下げたい)。けれども、浅いと言うか、ありきたりと言うか、話し合っている自分たち自身にとってスッキリ腑に落ちるものでもない。
 そこでさらに頑張った。すでに前回よりだいぶ時間が経っている。拾い上げたキーワードはすでに挙げた「やりたい、自分のため、人のため、楽しい」の他に「バトン渡し、(限られた)時間、取捨選択、上手に生きる、生き甲斐」など。
 そして何とか言語化してみた。何度か書き直しながら、ようやく次の文章に落ち着いた。

限りある人生の中で何をやるか?
時間的な制約があるから、やりたいけれど出来ないものがたくさんある。だから、自分が出来ることを精一杯行い、楽しさと共に誰かにバトンを繋いで行く。

 「確かに...」、参加者全員がそう思ったところで、1学期の哲学対話はここでいったんお開き。
 さて、いま整理ながら改めて思うのは、上の文章の「楽しさと共に」だ。話の途中に「楽しい」という単語が何回も出てきて、それが大事な要素だと恐らく参加者みんなが考えていた。そして文章化するにあたって、初めは「楽しさと共に」の部分が無かった。それが無くても文章としては完結しているのだが、なんだかしっくりこない。何かが足りない。そこで、その部分を付け足したわけだ。
 その意味では「とって付けた」ように見えなくもない。けれども、恐らくそれが大事な要素なのだ。今はまだ言葉にできないけれど、僕らは何かを掴んだ。掴んだ証として、僕らはそのフレーズを盛り込んだ。そしてそれは次なる哲学対話のテーマに通じるかもしれないものだ。次回は2学期に、またよろしく!

※ 〈本質観取〉でやった他の事例はこちら(↓)をどうぞ。
   ▶︎ 依存とは?
   ▶︎ 学びとは?
   ▶︎ 人間らしさって何だろう?

◇      ◇      ◇

   〜 新しい仲間と哲学対話、開始!
    ▷ 人間らしさって何だろう?
    ▷ 限りある人生の中で何をするか?
    ▷ 教育実習生とAIを語る会

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