言葉は地図みたいなもの
言葉は地図みたいなもの。。。
人跡未踏の地には地図がない。人が行き交うようになって少しずつ地図が出来てゆく。
未知のことがらにはそれを表す言葉がない。人は言葉にしながらことがらを理解しようとする。
正確な地図とは土地そのものだ。しかしそれは何の役にも立たない。地図に何かを盛り込もうとすれば、同時にたくさんのことが抜け落ちる。そして価値ある地図になる。
ことがらを正確に描写することはできない。そしてそれをする価値もない。ことがらを言葉で表そうとすれば、同時にたくさんのことが切り捨てられる。そして言葉が意味を持つ。
切り分けて、切り捨てて、決めつけてようやく言葉になる。そうしてぼんやりとことがらが見えてくる。
目的に応じていろんな地図があるように、ことがらをいろんな目で見ていろんな言葉で言えばよい。そうすると少しずつくっきりしてくる。正しいとか間違ってるとか、いちいち言うな。
思考の限界、言葉の限界
思考は言葉を介してしかなされず、言葉によってしか表せない。
言葉は社会にあらかじめ規定されていて、社会に受け入れられることでしか機能しない。
すなわち、思考は言葉の檻に閉じ込められ、言葉は社会の檻に閉じ込められている。
よって、考えることは言葉を磨くことに他ならず、他人の共感を得てはじめて成就する。
こうして、思考と言葉と社会は時間をかけてゆっくりと進化する。ふむふむ。
わかっている人より、わからない人の方がエライ
◇ 考えることは、未知へのチャレンジである
わからないから、考えるのです。考えることは、未知の領域にチャレンジすることです。
そうであれば、ピントがズレていたりすることもあるでしょう。多少の間違いがあるかもしれません。でも、それでいいんです。未知の領域に踏み込めば、そうなるのは当然だと考えましょう。
◇ 考えるとは、何が問題なのかをつかむこと
考えている最中は「何が問題なのか」もなかなか見えないのものです。見えないなりに考えて、見えないままに発言して、少しずつ焦点が定まってくるものです。
人は言葉でしか考えることができませんから、この段階では必ずおバカな言葉を発することになります。
◇ わかっている人より、わからない人の方がエライ
既知の領域で満足するより、未知の領域にチャレンジする方が価値があるとすれば、わかっている人より、わからない人の方がエライ。
あるいは、問題意識がないことを「わかる」と呼び、問題意識があることを「わからない」と呼ぶとすれば、やっぱり、わかっている人より、わからない人の方がエライ。
◇ 自分にとって未知なるモノは、社会にとっても未知である
ある人が「考えている」問題は、他の人には「考えることすらできない」問題なのだと捉えましょう。他の人が「わかっている」から問題にしないのではなくて、「考えられない」から問題にしないのです。
ということは、その人がいま考えている問題は、実は誰もわかっていないのです。
◇ 答えは、自分で創るもの
自分がいま考えているその問題に関して、自分こそがパイオニアなのです。ですから、答えは自分で創るしかない。 他を探して見つかるものではありません。
問いを立てるのも、それに答えるのも、自分です。「考える」とは、そういうことです。
◇ ◇ ◇
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