文脈を取れない人
知り合いがSNSに投稿した 文章 に私がコメントした。
知り合いがコメントを返した。それに対して私が再びコメントした。
知り合いにコメントしたのはここまでですが、続けます。
さて、「文脈を取れない」人は「ほとんど本を読まない人」の中に一定の割合でいるように思うのです。本を読むことは、人の話を聞くことであり、新しいものを取り込むことであり、それを基にして自分で考えることです。ですから、本を読む習慣がある人には、人の話を聞く姿勢、新しいものを取り込む意欲、自分で考える習慣が自然とあるのです。もちろん本を読む習慣がある人には「文脈を読む力」も、程度の差はあれ、一定程度は身についています。
でも、世の中には「ほとんど本を読まない」人がたくさんいるわけで、そういう人が全員とは言いませんが、「文脈を取れず、人の話を聞かず、考えようともしない人」は「ほとんど本を読まない人」の中にいるのです。その人に学歴があっても、社会的地位があっても、です。
相手のことを「話が通じない人だなぁ」と思ったとき、きちんと説明すれば良いとは限りません。相手が「文脈を取れない人」だった場合には、おそらく徒労に終わります。むしろ逆効果の場合もあるでしょう。
では、どうすればいいか。相手のことを「話が通じない人だなぁ」と思ったとき、そもそも彼には「文脈を理解する能力が無いのではないか」と疑ってみましょう。そしてその際の判断材料の1つが、その人に「本を読む習慣があるかどうか」です。
ところで、スマホを長時間眺めている人が「文章を読んで、文脈を理解している」とは限りません。むしろ「スクロールしながら単語を拾っている」だけという場合も多いでしょう。そのような読み方が一概に悪いとは思いませんが、「文脈を取れない人」でも「単語の拾い読み」はできるわけです。
そしてそういう人と議論しようとすると、揚げ足取りのような反応が返ってくるでしょう。というのは、文脈を理解できなくても「単語に反応する」ことは彼にもできるわけです。本人に悪気はないのでしょうけれど、彼にできる精一杯がそれだから、仕方がないのです。
なお、「文脈を読む」ことと「空気を読む」ことは全く別物です。と言うより「文脈を取れない人」が、その代わりに手がかりとするのが「空気」なのです。だから「文脈を取れない人」はむしろ「空気を読む」ことに長けていたりします。
「話が通じない人」は、職場にもネット上にもたくさんいます。でも、彼らが悪い人というわけじゃない。多くの場合、その原因は「文脈を取れない」ことにあるのだろうと私は思います。
では「文脈を取れない人」はどこにいるか。本を読む習慣がある人の中にそういう人がいるとは私には考えにくいのです。本を読むことは「人の話を聞くこと・新しいものを取り込むこと・それを基にして自分で考えること」ですから、本を読む習慣がある人には「文脈を読む力」が身についていると同時に、前提として「人の話を聞く姿勢・新しいものを取り込む意欲・自分で考える習慣」が当然あるはずです。そう考えたときに「話が通じない人」は「本を読まない」人の中にいるのだろうと私は考えざるを得ないのです。
読書、大事です。
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