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[毎日30分ルーティン]止むに止まれぬ描きたい気持ち

止むに止まれぬ気持ちで何かの形を描いたり、歌ったり、言葉を紡いだり何かを作り出したり、身体パフォーマンスすることがアートなんだろうなっていう話をしていたことがあって、今もアートの基本ってそういうところなんだろうと思う、うまい下手を別にして。

私はずっと描けないで人生のほとんどを過ごしたけれど、その代わりに歌ったり、言葉を紡いだりしてきた人生だった。学生時代も美術というのは本当に辛い時間だったのは「思い通りのものにならない」ということだったのだと思う。
その代わりと言ってはなんだけれど、中学生の頃から写真部に入っていた。カメラが大好きだったし、自分でフィルムから現像したり焼いたりするのも楽しかった。描くぐらいなら撮ればいいと思っていたのかもしれない。

それって結局記録以上のものでしか、自分にとって描くということはなかったのだろうなと思う。そこから、何度か絵日記的なものを自分で書いてみたりするチャレンジを経て、現在に至る。

先週末から、世界がこんな状態になってからずっと行けてない第二の故郷というか元仕事場のタイを描きたいという気持ちが堪らなく湧き上がってきていた。どこを描こうかと思って、とにかく暁の寺、ワットアルンを描こうと決めて写真を選んだ。

締切もあって、他にやることもいっぱいあって、しかも昨日のトラブルで丸一日潰れてしまったのに怒涛のようにタイにまつわる絵を描いた。初めて無心で描くことができたのではないかなと思う。うまく描けなかったらとか、どう描いていいかわからないとか思わずに描けたのは初めてのことだ。

その日はもう線だけで手一杯で、翌日また大急ぎで色を入れたのだけれど、描き終わった後、色を入れた後どちらもなんというか、えも言われない爽快感に満たされた。

自分にとって描くということも止むに止まれぬ気持ちを持てるものになった記念すべき経験。もっとゆっくり時間をかけて描けたらいいのになぁと心から思う。

昨年、占星術の先生に見ていただいた時、前世タイ人だったのよね、ということを言われていろんな意味で憑き物が取れたような気持ちになって、ずっとタイに持っていた「恩返ししなくちゃ」とか「タイのために働かなくちゃ」みたいな気持ちも何もかもすーっと昇華されてタイという国にほぼ接することなく過ごしてきた。でも、タイの絵を描きたくなり、この絵を描けたことが全てをニュートラルにしてくれた気がする。

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