腹を据えてみる(その1)

画像1

本が好きなのですが、小説は本当に読まないのです。数年に一度長編ばかり読みます。最後に読んだのは吉川英治先生の短編以外ほぼほぼ読み尽くしました。体に何かを染み込ませる様に小説を読むなぁと思うことがあります。

吉川先生の著作も三国志も日本ではない国にいながら日本語を渇望する様な感じで読んだのでより印象深いです。あぁ、そういえばもうこんなにオンラインで世界中と繋がれる時代だから、日本語を渇望して、包み紙に母が差し入れておいてくれた新聞まで食い入る様に読んでいた10代の海外生活とは違うのだなぁと改めて思います。

まとめて何か小説を読んでいるときは、結果的に何かテーマがあります。今回は商い、言葉、そして着物がテーマかもしれません。

今回読んでいるのは「あきない正伝 金と銀」という髙田郁さんのご本です。「銀二貫」「みをつくし料理帖」といった髙田さん原作のドラマをみておりましたので大好きな世界に没頭する感じであっという間でした。

彼女のかたる物語に出てくる人の何が好きかと言いますと、皆腹が据わっているのです。背筋がきちんと伸びて、覚悟ができている。

読んでいて何が清々しいのかというと、その腹の据わり方なのだろうと思うのです。漢字の語源をみてみましたが、元々は手が曲がって動かせない状態、日本では居という字の意味をとって、そこに据え置くという意味が大元であるとありました。語源はこちらから

自分の立ち位置、とでも申しましょうか、お腹ですから自分自身の中心をそこに据えるというのが腹を据える、ということであると思います。

辞書には覚悟、ともあります。覚悟という言葉の意味を調べていましたら、大谷大学学長の木村先生のご説明が一番しっくりきたので引用します。
”仏教でいう「覚悟」は、真理を〈さとる〉、真理に〈目覚める〉ことを意味する。覚も悟も同じく〈さとる〉ことだが、覚は不覚に、悟は迷に対して用いる。『涅槃経』には「仏とは、覚と名づく。既に自ら覚悟し、また能く他を覚す」と説いている。”

端的に申しますと、無意識、無自覚領域に至るまで自ら覚悟し、その覚悟を持って他に影響を与えるということだと理解しました。まだ起こっていない出来事や、心境の変化にも今決めたポジションで臨機応変に貫き切るということです。

仏教という教えを通して行ってきた人間観察と生き方の発露の一つで、これは悟りだとか修行の世界で生きる人たちでなくても実践する価値のあることではないかと思います。

どれぐらい覚悟を持って望んだか。
これが結局成功するか否か、自分で納得した人生を送れるかどうかの一つの鍵ではないかと思っています。

私も過去何回か自分の中に鮮烈な覚悟を持って挑んだことがいくつかあります。今もその渦中にあるのですが、よくぞ思い切りましたねと自分で思うことひとしおです。

その覚悟さえ持ってしまえば、あとは神様に手をあわせ、正しい行いを淡々としていれば良いのだろうと思います。
揺らがないでいられるのは、その場の損得でお尻を浮かして自分の身を守ろうとしないからだとも思います。
覚悟を決めて自分の屋台骨をあげたのであれば、それは最善の決断であり、自分の心に正直でいられる決断だと思います。そういう覚悟を持っていれば、人にそれは伝わります。ですから良いことも悪いこともどんどんと流れてゆくのではないかしら、と思います。

昔まだ船場でレッスンをしていた頃。レッスンが終わったところで、195センチほどある大男のチンピラさんが、習いに来たいといらっしゃいました。そんな値段なら、習って話せなかったらどうするんだとか!まぁ色々大声で怒鳴り散らしながら聞いてくるわけです。(私に習いたいはずなのに)生徒さんはその筋のお方かと心配するので先に出てもらいました。

勉強というのは私が代わりに喋ったり読んだりしてあげられないので、話せるかどうかはあなた次第、そんな大きな声ですごまなくてもいい。わからなかったら何度でも教えてあげるから心配しないの、というと、クシャクシャの一万円札をポッケから出して手付金だと言ってドンとおきました。

じゃぁ、あなたもこれから私の生徒さんですから、みんなとの食事会にいらっしゃいな、仲良くしたら色々教えてもらえるからねと話したらついてきました。みんなも怖がっていましたが、最終的にずいぶん会話も弾んでいました。結局彼は個人レッスンで一年ぐらい私の真面目な良い生徒さんでした。

生徒さんを守るということ、この商売でずっとやっていくという覚悟がありましたから、その意気で様々なことを乗り越え、最後には笑い話にしてこられたなぁと思っています。

最後は笑い話に
覚悟さえあれば、どんな辛かったり大変だったことも最後は笑い話になるなぁと思っています。

生きるということは大変ですし、自分の決断に迷いを抱くことは何度もあると思います。それでも今を肯定するにはや考え抜いてた結論に腹を据えるということに他ならない、と思います。腹が据わっているからこそ、次の一手を考える工夫も出てくるということなんだなぁと改めて感じています。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?