炎上、批判は喜ばしいこと!少年よ社会を変えろ!

私たち人間は出来るだけ頭を使いたがらない生き物です。大多数が似た考えを持っていれば、それは「常識」となり個人で考える必要が無くなります。

これは決して悪いことではありません。何でもかんでもとことん考えるには、世の中は難しい事に溢れています。人は自分が思う以上に鈍感なもので、様々な差別や偏見の中でのほほんと暮らしている人が大多数です。

勿論、その人もなにか熱中するものがあるのでしょう。哲学は暇人のやる学問とはよく言ったもので、余裕がある人にしか物を考えるというのは難しいです。

また、「常識を信じる」という能力も、人間に備わった生き残る為の術です。この信じる能力があったからこそ人がここまで繁栄したという説もあるほどです。

ですが、その常識も時が経つにつれ古びていきます。ある暇人が、「この考え方は古いのでは?もっとこうするべきだ!」と声を上げるようになります。これは必ず猛烈なバッシングを受ける事になります。自分が立っていた地盤が揺すられたようなものですから、あの手この手で安定しようと試みます。

この状態にある問題は現在沢山あり、それは度々「炎上」という形で目にすることができます。

この広いネットの海で、不特定多数の人が「条件反射的に」それを叩くということが重要なのです。個人の無意識に潜在化された社会構造が、大した自我の処理や社会的圧力に曲げられずにビビッドに表現されます。

例を挙げればキリがありませんが、フェミニズムや大麻解禁などのテーマはよく燃える印象です。僕がいまここでこれらの問題に詳しく意見するつもりはありませんが、インターネット、特にSNSや匿名掲示板などで炎上しているのを見る限り、「議論にならない」というのが正直な感想です。そしてこれは、必ずしも悪いことではないのです。

論理性のかけらもない誹謗中傷が飛び交う様を見て、インターネットの匿名性に危機感を覚える人もいます。それは間違いではないでしょうが、おそらくこの手の問題については現実で話し合っても似たような結果になると思います。それは、先に書いた「常識」が邪魔をしていると考えられます。

勿論、斜に構えてこれらの主張をする人々を冷ややかな目で見ているわけではありません。大多数のこういった反応は自然なものだと思いますし、主張をする側の人々にも頑張ってもらいたいと思っています。ただし、それは「議論」ではないということは知っていてもらいたいです。

わかりやすいのでフェミニストを例にとりますが、彼女達は比較的冷静に、論理的に主張していると思います。そう聞いて、「いや、そんなことはない!奴らは感情的になってめちゃくちゃなことを言っているだけだ!」と思う方もいるかもしれません。今フェミニズムの説明はしませんが、すこし調べてもらえば「フェミニズムの思想からすれば」間違ったことは言っていないことがわかると思います。

フェミニスト達は、自らの主張を説明し、社会を変えようと試みています。つまり、理性的で生産性のある「議論」をしようとしています。はっきり言って、今の日本では議論ができる土壌すらありません。これはいくら分かりやすく、論理的に説明しても大衆は聞く耳を持たないということです。

勘違いしてもらいたくないのは、これらの活動が無意味だと言っているわけではないということです。それどころか、今の社会を変える第一歩として「炎上」という強いインパクトを与えている点では、評価されるべきものだと思います。今はまともに取り合ってもらえなくても、いずれ社会に浸透し行動に移すエネルギーになります。なにより、炎上すれば多くの人の目に止まります。

なにも、フェミニズムは突っ込みどころのない完璧な思想で、反論は全て自我を保つための戯言に過ぎないと言っているわけではありません。それでも、考える価値はあるものだと思います。

結局なにが言いたいかというと、今インターネットで見かける「炎上」はある意味自然な現象で、社会がいい方向に動き始めたと喜ぶべきことだということです。ですが、それはまだ育っておらず、議論の体をなしていません。「炎上」は、議論ができる土壌を耕してくれているのです。いずれ冷静に話し合える人が増え、それが多数派になってきます。そこでやっと議論が始まります。始めは勢いに乗ったエネルギーのせいで、行きすぎることもあるかもしれません。ですが、必ず揺り戻しというものが起こります。結局は自然に落とし所を見つけるか、もしかしたらジンテーゼを見つけることができるかもしれません。

もし、ここまで読んでくれている方がいたら、炎上しているところを見た時、なぜここまで人が怒っているのかを考えて見てもらいたいです。おそらく、その主張をしている人は、非常識なことを言っています。ですが、その主張には何故か反論したくなる不思議な魔力があるはずです。もしあなたに考える余裕がなく、どうしても理解できないと思ったら、そのままブラウザバックしていただいて構いません。いっそ、人格を否定しない程度にやり合ってみてもいいかもしれません。その問題は、一晩寝ても心のどこかにしこりとなって残っているはずです。それは無意識に社会に警笛を鳴らしているかもしれないし、個人的なモヤモヤに関わることかもしれません。それは時間が経てば、自然に胃に収めることができると思います。

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