僕がnoteを始める理由

僕がnoteを始める理由を話そうと思う。それは

「助けたかった人を助けられるから」

僕は誰かの幸せの力になりたいと思っている。自分が存在することで、自分の言葉や経験で誰かが少しでも前向きになれたらいいなと思う。

でも、それを叶えることが出来ないことがあると知った。

そんな都合の悪いことって起こるの?って思ったかもしれない。

だって、他人が自分に対して幸せになれるよう力になってくれるってめちゃくちゃお得じゃない?

でもね、実際は助けられなかったんだ。

今から起こったことを話すね。

僕にはこれまでお世話になっていた女性社員がいた。いつものように打ち合わせが終わって談笑しながら社内デスクに戻る時、その方から突然、「今月で退職します」と言われた。

僕は驚きながらも話を聞いてみると、次の職場が決まっていなく、新しいことを始めたいし、これまでと全く違うスキルを付けられる職に就きたいと言っていた。

「ん?”普通”となんか違うぞ」と心の中で思った。やりたいことがあり、次の行き先を決めて、退職が”普通”だと思っていたからだ。

気付けばその方は契約社員でどうやら一般でいう”仕事が出来ない”し、部署の人件費削減のため、希望退職を提案されたそうだ。

僕は相手の立場になって考えてみた。浮かんできたのは「辛すぎる、そんなの」ただそれだけだった。だって一緒に頑張ってきた仲間から戦力外通告を突然受け、そんな自信のない状態で転職活動しなさいなんて、それどころの精神状態じゃないはずだ。

確かに利益を増やさなくてはいけないのが会社であるけれども、人を大事に出来ないのは僕は全く全く同意出来ない。

前置きが長くなったが、僕はその方を少しでも救いたいと思った。恋愛感情は関係なく、ただただ少しでもその方の今後の人生の力になってあげたかった。

僕は話を聞こう。そして自信を失っているであろうその方の素晴らしいところを肯定し、何か力になってあげたい。

よし!ご飯に誘おう!帰り道すぐにLINEした。

結果、話を逸らされ、ついには既読無視。。。

あれ?

彼女にとって僕の行動は余計なお世話だったのかもしれない。はたまた、ご飯に行く男性としての魅力がなかったのかもしれない。

どちらにせよ、救いたかった人を救うことが出来なかった。機会すら与えてもらえなかった。

僕が男性としての魅力がないことは一旦置いておいて、、

なぜ僕の優しさが相手に届かなかったのか。

それは優しさの価値観が相手と合わなかったからではないか。要するに余計なお世話であったのかもしれない。

例えば、電車で席を譲る優しさを見せたのに、相手はそれを不快に思ってしまったことなどは典型的な例である。

でもこの優しさを”余計なお世話”として消費されるのはあまりにもったいなし、それなら求めている人に届けたい。

人間みな同じ価値観なんてないし、そこに文句を言うのはナンセンスであって、それならちゃんと僕の優しさを求めている人に届けて少しでも多くの人が幸せになってほしい。

そんな想いでnoteを始めさせていただきました。

僕の優しさが一人でも多くの人に、そしてほんのちょっとでも幸せになってくれる人が増えることを信じて

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