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風船葛の思い出

小学生の頃の僕の家には、けっこう広い庭があった。
園芸が好きな母は、毎日のように草木の世話をし、季節ごとに咲く花々を楽しげに眺めていた。僕が小校5年生から飼い始めた、犬のジョンにあちこち掘られてしまうまでは…。

だが、この話はジョンが来る前のことだ。
手入れされた庭はきれいに整い、折々の花の香りが常に漂っていた。
また、庭の片隅にはシソやユキノシタ、ミョウガといった香味野菜が植えられ、食事の薬味として食卓を豊かに彩っていた。

僕は特にユキノシタの天ぷらが大好きで、葉が大きく育つのを待っては、母に天ぷらにしてとねだっていた。
大人になってからも食べたくて、スーパーなどで探してみたのだが何故か売っていない。鮮度管理が難しいのだろうか? 残念である。

香味野菜以外にも子供の僕らが遊べる植物が、庭にはたくさん植えてあった。
オシロイバナの落下傘、ヤツデの鉄砲、ホウセンカの蜜を吸ったり、カタバミの種をはじけさせたりと…。
ごめんなさい。何のことやらわからない方は検索してみてください。


家の庭には草木以外に、鉄棒が設置されていた。
鉄工所をやってる伯父さんが、僕が鉄棒が好きという話を聞いて手作りしてくれたものだ。
僕は嬉しくて、暇さえあれば連続逆上がりや足掛けまわりをくるくると飽きもせずにやっていた。

その日は、足掛けまわりの両足版である天国まわりを成功させるべく挑戦していたのだが、1時間もするとさすがに疲れて地べたに横になっていた。

そんな格好のままふと目をあげると、家の前の道を誰かがこちらに向かって歩いて来る。
友達が遊びの誘いに来たのかなと思ってよく見ると、その姿はあろうことか同年代の女子の姿であった。

彼女は僕の家の前まで来ると、小さな声で「あそぼぉ~」と声をかけてきた。傍らには妹らしき小さな女の子が一緒だった。

同じクラスの横塚さんだった!

訳が分からない。

遊ぶ約束をした覚えはないし、僕と彼女は一緒に遊んだことは一度もない。

ふたりきりで遊んだことなどなおさらである。


僕が唖然とした表情でいるのに気づいたのであろう。
横塚さんは
「これ、お母さんが持ってけって」
と言いながら小さな袋を差し出した。

受け取ってみるとお菓子のようである。ホカホカと温かい気配と甘い匂いさえ感じられる。焼きたてのマドレーヌだった。

マドレーヌは大好物だ。
けれども一緒に遊ばなければ、恐らくこれは手に入るまい。
そう悟ると、僕は庭に彼女らを招き入れた。


家の中で遊ぶには家人の目が恥ずかしいし、一体何をして遊べばいいか分からない。家の中にある遊び道具は野球盤だけである。彼女らが野球盤を好むとは到底考え難い。

庭ならば鉄棒がある。
鉄棒は体育の授業でもやっているので、彼女も経験済みである。

そこまで思考を巡らせてから
「じゃあ、鉄棒をやろうよ」僕がそう言うと、
彼女が赤くなりながら答えた。
「鉄棒は苦手なの…」

そうだった! 彼女は鉄棒が苦手だったではないか。
体育の授業で、逆上がりが最後までできずにいつも居残りさせられていたではないか。
なぜそれを忘れていたのだ。我ながら呆れてしまう。


(彼女に恥ずかしい思いをさせてしまった)
そう僕が思ったのを悟られないように、できるだけさりげなく言葉を続けた。

「じゃあ、落下傘やろう。オシロイバナの落下傘は知ってる?」

庭にはオシロイバナが今を盛りと咲き誇っている。これを使わない手はない。

幸いにも横塚さんは落下傘の作り方を知っていた。彼女の家に近くにもオシロイバナが咲いているのだという。
僕らは彼女の妹に落下傘の作り方を教えてあげ、飛ばすのを手伝ってあげた。妹は初めての経験に声をあげて喜んでいる。

(良かった。さっきの鉄棒の分を挽回できたかもしれない)
僕は少しほっとしてそんなことを思っていた。


その後も庭にあるホウセンカの蜜を吸ったり、トクサで爪をピカピカに研いだりして何とか時を稼ぐことに成功した。
女の子は花さえ見ていれば笑顔になると学んだのもこの時だった。

しかし、女の子と一緒に遊んでいるという気恥ずかしさはなくならないままだ。
彼女も何となくもじもじしているし、その気配が僕にも伝染して会話が続かない。

(正直もうそろそろ帰ってくれないかなぁ)
彼女が持ってきてくれたマドレーヌを一緒に食べながらそんなことを思っていた。最低である。


「これなあに?」
彼女の声で我に返り、顔を上げた。

見ると風船葛である。
ツタを伸ばして成長する植物で、風船のように膨らんだ丸い実をつける。
夏のうちは鮮やかなグリーンだが、秋口の今は薄茶色に変色している。

(そうだ、この草も遊べる植物だった)
僕はそう思いながら、薄茶色の実をひとつ採ってその皮を破いた。

中から出てきた黒く丸いタネを彼女に渡す。
「はい、これ君にあげるよ。」
タネの模様を見てきっと驚くぞと思い、僕は微笑みながら言った。

タネを渡された彼女は、最初は何が面白いのか分からないようだった。
でも、黒地に白のタネの模様がハート型になっているのが分かると真っ赤になってしまった。

そして、逃げるように帰ってしまったのだ。
置いていかれた妹は、叫びながら彼女を追いかけていった。

いったいどうしたんだ。
呆然としながら、僕は何かとんでもないへまヘマをやらかしてしまったのではないかと落ち着かず、心臓がドキドキしていた。



次の日、学校に行くと彼女が転校したことを知らされた。
なんでも、前々から決まっていたことで、昨日が引っ越しの日だったらしい。

今でも僕は分からない。
あの時、彼女はなぜ引っ越す最後の日に僕の家に遊びに来たのか?
なぜ逃げ出してしまったのか?

そして僕はどうすればよかったのだろうか?
風船葛の実を見る度に、自問してしまうのである。


フウセンカズラ
つる性の植物で一年草。7月~9月頃に白い5mmくらいの花を咲かせる。花は葉腋からでる長い柄の先に数個付き、巻きヒゲを共につける。
果実は風船状に大きく膨らみ、緑色。後に茶色く枯れる。種子は球形で大粒、なめらかな黒でハート形の白い部分がある。
花言葉は「一緒に飛びたい」「自由な心」
-Wikipediaより

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