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ショクヨウガエル捕り-前編

僕が生まれたのは、埼玉県の川越市。
江戸時代は城下町として栄え、蔵造りと呼ばれる土蔵の街並みで知られている場所だ。ご存知だろうか?

今でこそ年間700万人以上の人が訪れる観光地としての地位を誇っているけれど、僕らが子供の頃はそんなことはなく、鄙びた城下町という印象だった。


氷川神社や喜多院といった神社仏閣は数多くあれど、デパートは丸広百貨店だけ。「銀座通り商店街」という名前だけは立派なアーケードが一番の繁華街だった。

西武新宿線と東武東上線が通ってはいるが、国鉄川越線はドアを手で開ける手動式の車両だった。

ただ城下町特有の細い路地は、僕らにとっては格好の遊び場でかくれんぼや缶けりをやるには最高の立地だった。


僕の家は川越城下のさらに郊外にあり、家から50mほど歩けば、もうそこは田んぼや桑畑が広がる耕作地だった。
つまりは、元々田んぼだったところを開発した住宅地の一角にあったのだ。

当時住んでいた家は木造の平屋建てで、家の前の道に沿って細いドブ川が流れていた。
角を曲がるとドブ川はさらに広い本流に繋がり、ヘドロ特有の匂いを周囲に漂わせていた。


川にかかった小さな橋の下からは「グオッ グオッ」というショクヨウガエルの低く不気味な声が時折聞こえた。
ヤツはこのドブ川のヌシで、ヤツの姿を見たことは今まで誰もいなかった。

近所の小学生たちは、誰もがヤツの姿を見てやろうと一度は川べりに降りるのだが、足場の悪さと橋の下の暗さ、そしてヘドロの悪臭によってほどなく退散するのが常だった。


それでも一度だけ、6年生のタツオが雨の日に長靴を利用して橋の下に潜り込んだことがあった。

タツオは傘で水面を叩きながら、大声をあげて川底を漁りはじめた。なんでもカエルは聴覚が発達しているので、大声をあげると耳がマヒしてしまうとのことだった。

僕らは橋のたもとからタツオの姿を覗きながら、彼がカエルを捕まえられるかどうかで賭けを始めていた。

橋の下の中ほどまで来ると、タツオの声が突然やんだ。
「いたぞ。でかい!」
続いてバシャーンという水音が響いた。

一瞬の静寂の後、
「クソッ!」
タツオの罵声が聞こえた。


後でタツオに話を聞いてみると、確かにこの目で見たのだという。
カエルが跳ねるのが見えたので、思わずダイブして飛びかかるとヤツは水底に潜って泳いでいってしまったのだという。

体長は20センチはあったと言っていたが、怪しいものだ。
タツオはホラ吹きで有名だった。

カエルを採りそこなって全身ヘドロまみれになったタツオは、僕らが大笑いするのを気にもせずに、カエルがいかに大きかったかを切々と語るのだった。


そんなある日、友達のケンが学校から帰る途中、僕に声をかけてきた。
「テツ、一緒にショクヨウガエルとらないか?
ヤンさんが捕まえたら1,000円で買い取ってやるって言ってるんだ」

ヤンさんというのはケンの家の近くにある中華料理屋「阪南飯店」のコックだ。なんでも、中国人相手に本場の中華料理を出して、かなり儲けているという噂だ。
ホントかどうか知らないが、大阪の有名な店で修行していたのだが、ヤクザの女に手を出して関東まで逃げてきたんだという。


もし、ケンの言うことが本当なら1,000円は魅力的だ。
ケンと2人で分けても500円…。駄菓子屋で豪遊ができる。

でも本当にヤンさんは1,000円も出すのだろうか?
あんな不気味な声で鳴くカエルにそれほどの価値があるのだろうか?
そもそも買い取って何に使うつもりなのか?


僕の不審な表情を読み取ってか、ケンは言葉を続けた。
「ショクヨウガエルというのは”食用蛙”って書くんだよ。
ヤンさんはヤツを店で料理したいらしいんだ。何でも中国ではごちそうらしいぜ」

「マジかよ。カエルを食うなんで僕だったら死んでも嫌だね。
でも捕まえて渡すだけで、本当に1,000円くれるのかい?」

「ああ、それは確かだと思うよ。大きさによっては2,000円出すとも言ってた。それに約束の前金としてこれをくれたよ」

そう言ってケンはポケットに手を入れると、丁寧に折りたたんだ500円札を取り出してみせた。

それを見た時点で僕の返事は決まった。
「よし、やろう。さっそく作戦会議だ」


姿さえ見たこともない相手だ。
ちゃんとした作戦を立てないと捕まえられっこない。
タツオの二の舞はごめんだ。

ランドセルを置いてケンの家に行くと、彼はもう準備を始めていた。
バケツと長靴と懐中電灯、魚採り網とエサの煮干し、煮干しをくくりつけて吊り上げるためのタコ糸まで用意していた。

「あと何か必要なものはあるかな?」
「そういえばタツオがカエルは大きな音に弱いって言ってたよな。
さくら屋で爆竹買って鳴らしてみないか」
僕はそう提案した。

さくら屋というのは、近所の駄菓子屋でお菓子以外にもゴムボールや発泡スチロールの飛行機、かんしゃく玉なども売っていた。

「そうだな、ついでにお菓子も買って食べながら作戦を立てよう」
ケンはそういうと、さくら屋に向かって歩き出した。

爆竹とうまい棒、麩菓子とチョコバット。それぞれ好きなものを買って腹ごしらえした。


「なあ、1,000円もらったら、半分半分だよな?」
僕は少しだけ気になっていたことを口にした。

「当たり前じゃん。僕だけじゃ捕まえられそうにないからテツに頼んだんだ。ちゃんと折半するから安心しろよ」

そう言われて僕はほっとしたし、嬉しくもあった。
ケンは頭が良く成績もいいが、運動は苦手だった。背が小さいせいで、よくからかわれたりもした。

僕は4月生まれということもあって、背の順では後ろの方だし、運動も得意だ。リレーの選手にも選ばれたし、クワガタ捕りやザリガニ釣りも好きだった。
他の誰かでなく、僕に声をかけてくれたことが素直に嬉しかった。

(よしこうなったら、絶対に捕まえるぞ)
僕は改めてそう思った。


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