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『ひろゆき』になりたい中学生・高校生・すべての人は何を勉強すればよいのか

近年の日本でひろゆきほど過大評価されてきた言論人はいない。馬鹿っぽいレトリックを振りかざして鼻につく知識人を「論破」する彼の姿は、ちょっと目端が利くものが見れば唾棄すべき光景だろう。

ただ、筆者はこうも思う。近年の日本でひろゆきほど『過小評価』されてきた言論人もいないのではないか。ひろゆきは凄い。凄くなければそもそも2chという化け物を産み出して旧メディアの権威を失墜させることはできなかっただろうし、『論破』芸で荒稼ぎすることもできなかっただろうし、アフリカの果てで東出とピッタリ息のあった掛け合いを披露することもできなかっただろう。そう、ひろゆきは凄いのだ。その凄さがいかに虚飾の上に成り立っていようとも、インテリ連中が眉を顰めようとも、彼が「凄い」ことだけはほんとうだ。

ひろゆきは実際何が凄いのか?彼のレトリックだろうか?そんなことはないだろう。彼の『論破』術は、極めて悪質なミスリーディングだとか、過った一般化だとか、そういうつまらない初歩的な詭弁を効果的に使用することで、「勝った風」に見せる技術のことだ。彼の論破術はまともな大人なら誰でもできる。恥ずかしいことだから誰もやらないだけだ。ひろゆき本人ですら恥ずかしいという自覚はあるようだ。

良心の異様な欠如だろうか?これは真実に近い気がする。彼の凄さの本質と言ってもいいだろう。『あめぞう』の壊滅劇も、賠償金を踏み倒すためにフランスまで高跳びした一件も、アメリカ議会襲撃事件を引き起こしたと言っても過言ではない4chの管理人であるのにマトモなステートメントひとつ発さないのも、彼の異様さを象徴している。批判しているわけではない。むしろ褒めているのだ。ゼロ年代のインターネットにおいて真の意味で言論の自由があったのはひろゆきという人間の悪徳のおかげだ。もし彼がジャック・ドーシーやマーク・ザッカーバーグのような小心者だったら日本のインターネット文化はまったく違うものになっていただろう。彼の存在は日本のネット文化に良性の影響も悪性の影響ももたらしたが、全盛期2chの「自由」さはまさしく彼のおかげだ。他にも、人当たりの良さや旺盛な好奇心なども彼の成功には一役買っているかもしれない。ただし、筆者がここで本当に考察したいのはこうした要素ではない。

彼の真の凄さ(特に言論人としての凄さ)、それは彼のワードセンスにあるのではないか?彼はいくつかの印象的なマジックワードを持つ。

うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい

西鉄バスジャック事件発生時のテレビインタビューで

あなたの感想ですよね?

2015/6/22『ビートたけしのTVタックル』より

無敵の人

ひろゆきの2008年のブログが初出

そう、彼はマジックワードを放り込むことが恐ろしく上手いのだ。『うそはうそ〜』は本邦におけるインターネットリテラシーの一丁目一番地とでも言えるほどに人口に膾炙している。『あなたの感想〜』も大人気だ。ひろゆきに影響を受けてこれを教師や親に連発する子どもたちはかなり多いらしい。何よりも『無敵の人』はもはや、現在の日本が悩まされる社会問題の代名詞だ。これほどまでに使う言葉を次々と流行らせるセンスを持っているのは、彼の他には松本人志や志村けん位だろう。彼が一介のエンジニアで言語を専門的に扱う仕事についていないことを考えると、なお凄まじい。

彼のセンスはキャッチコピー的である。物事のある種の本質をキャッチーな言葉にまとめることが極めて上手い。「ネットリテラシー」の本質とは、パーソナルな情報を公開しないとか、このサイトはウイルスがあるから踏まないとか、そういう決まりごとを覚えることではない。どこまでも全てを疑ってかかること、そしてその中から砂金を取り出せる目利きの力こそがリテラシーの本質なのだ。上の言葉はそれを一言で言い当てている。『あなたの感想ですよね』、それに『写像って何ですか?』もそうだ。これらの言葉がどういった文脈で発せられたかというと「反知性主義」によるものだ。つまり、インテリがムツカシイ言葉で俺たちをケムに巻いてやがるから鼻を明かしてやりたい、といった願望のことだ。ひろゆきの言っていることが正しい/間違っているかは問題ではない。彼は、知識人のムツカシイ話は「写像」とかいう言葉を使う意味不明な「感想」なのだというレッテルを貼ることに成功したのだ。これは極めて重大だ。ひろゆきという在野の非知識人が象牙の塔に籠ったインテリたちを斬っていく姿はそれは胸の空くものだったに違いない。たけし〜松本人志〜的な系譜の後継者だと言えるかもしれない。マジックワードのひとつやふたつで反知性主義の旗手となった彼の顛末はやはり凄まじい。

最後の『無敵の人』にしてもそうだろう。彼が『無敵の人』なるマジックワードを産み出したのはなんと2008年の昔だ。この言葉が注目されて人口に膾炙するようになったのは2019年の京アニ事件以降だと考えられる。格差拡大と長い経済停滞による不満がマグマのように蓄積するなかで、『上級国民』と合わせてこの言葉が脚光を浴びることとなった。社会から完全に解き放たれた「失うものがない」「無敵」な存在。彼らの存在を秋葉原通り魔事件の段階で注目していたのは純粋に賞賛に値する。そう、彼が言論人として天才なのは、そのくだらないレトリックではなく、放たれる言葉ひとつひとつの力強さと、透徹した目で物事の核心を突く力にあるのだ。彼が真に人気を博してきた理由はここにあるのではないか?

ここまで見れば、ひろゆきになりたい中学生や高校生がなにをすれば良いのかという結論を出してもいい頃合いかもしれない。ひろゆきの真似をして詭弁を弄してもひろゆきにはなれない。劣化コピーでしかないのだ。反対に、本当に『ひろゆき』になるためには一見『ひろゆき』からは一番遠いように見える文学的センスとか、そういう類いのものを磨く必要があるだろう。ひろゆきは天才なのであまり本を読まなくても『ひろゆき』になれたが、大半の人に言語センスは生まれつき備わっているものではない。本を読み、日々の美しさに感動し、それを言葉にする営みがあなたを『ひろゆき』に近づけるのかもしれない。

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