北九州キネマ紀行【高倉健を「読む」編】健さんの〝初恋〟の先生は門司に健在だった?
2014年に83歳で亡くなった映画俳優、高倉健さん(以下、健さん)は、北九州市と〝接点〟がありました。
それは、健さんの出身高校(東筑高校)が現在の北九州市八幡西区にあること、遺作となった映画「あなたへ」(2012年)のラストショットが北九州市門司区で撮影されたこと‥‥などです。
北九州キネマ紀行【高倉健を「読む」編】は、健さんの著作や健さんに関係する文献などを通じて、健さんと北九州のつながりをさがします。
〝初恋〟の人は小学校の先生だった
高倉健さんは、自著「あなたに褒められたくて」と「少年時代」の中で、自身の初恋について明らかにしている。
それによると、お相手は、転校した本城小学校(現在の北九州市八幡西区)の2年の時の担任の先生。
名前は、健さんの本名と同じ「小田」といい、若くて袴姿が美しい、優しい先生だった‥‥と書いている。
小2といえば、8歳か9歳のころ。
時代でいえば、昭和14年か15年ごろ。
昭和15年とすれば、太平洋戦争が始まる前の年にあたる。
(健さんがこの頃聴いて印象に残ったラジオドラマの話をこちらの記事で紹介しています)
好きだったのに悪態をついた
健さんは、小田先生について、こんなエピソードを紹介している。
要約すると‥‥。
健さんの気持ちが分かる‥‥
好きな女性に、思いとうらはらな言葉を投げつけるとは、
ヤなガキだ、と思われる方がいるかもしれない。
でも、わたしは少年・健さんの心情が何となく分かる。
これは九州という土地柄、そして昭和のという古い時代と関係するのかもしれない。
昭和の九州の男(男児)はシャイというのか、屈折しているというのか、思う相手に気持ちをうまく表現できない。
できない、というより、むちゃくちゃ下手。
好きな異性ほど、思いとはうらはらの悪態をついてしまう。
(それは相手の気を引きたいからでもあるけれど‥‥)
そして、後悔する。
健さんは、思ってもいなかった言葉を小田先生に投げてしまったことが、ずっと心のどこかに引っかかっていたのだろう。
高校生の時の〝失恋〟物語
思いを寄せた女性について、健さんは高校時代の〝失恋〟の話も明らかにしている。
「少年時代」によると、高校2年の時というから、
時代は戦争が終わって間もない昭和23年ごろのこと。
お相手は八幡製鉄所に勤める女性。
八幡のまちは空襲で大きな被害を受け、復興に歩み始めたころにあたる。
その失恋物語は、要約すると、こんな話。
(健さんがこの頃見た映画の話をこちらの記事で紹介しています)
2人の女性にその後も連絡をとっていた
健さんは、小田先生と八幡製鉄所の女性とのその後のことを、「あなたに褒められたくて」に書いている。
それによると
健さんは「お会いしたいなあと思ってるんですが‥‥」と結んでいる。
「あなたに褒められたくて」が出版されたのは1991(平成3)年のこと。
当時、健さんは60歳。
当時も2人に連絡をとっていたということは
本当に忘れられない人だったからだろう。
小田先生は門司にご健在だった?
ところで2人の女性のうちの一人、小田先生については〝後日談〟がある。
健さんの遺作となった映画「あなたへ」が公開された2012(平成24)年のこと。
当時、健さんは81歳。
健さんは、「あなたへ」についての雑誌のインタビューで、
小田先生は北九州の門司にご健在だと明らかにしているのである。
小田先生は(少なくとも)健さんの10歳上だとすれば、91歳。
インタビューは「あなたへ」のロケ地に関する質問に答えた部分。
健さんの遺作となった映画「あなたへ」は、健さんが門司港の海岸を歩いて行くシーンで終わる。
健さん最後の映画で、最後のシーンが門司の映像だったことは、地元の者にとっては、感慨深い。
初恋の先生がいるまち、門司。
健さんは、思い出を大切にしていた。
小田先生は今もお元気だろうか。
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