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「なりたい自分になれる」バーチャルの可能性について私たちが勘違いしている一つのこと

”バーチャルの可能性”を広く世間へ向けて訴えているインフルエンサーである、バーチャル美少女ねむちゃんのツイートが、先日ふと目に止まりました。

 私の本での究極的な主張は「なりたい自分になって自由に活動できる世界が来る」ということです。「人間の魂なるものが肉体ごときに囚われているのはもう我慢ならない。自由になるのが当たり前の世界を作っていきたい」というのが、私の本の要約であり、私の活動コンセプトです。

「メタバースがITのバズワードとして消費されてしまうのはすごくもったいない」 ~バーチャル美少女ねむにメタバースの「いま」と「みらい」を直接聞いてみた【単独インタビュー】より

ねむちゃんらしい言い方だなと思いました。かくいう私も、VTuberを起点に仮想の未来への可能性を示すという形で、同じようにバーチャルの可能性を語っている身ですから、少なからず共感するところもありました。

ただ、なぜか「そうですよね」と頷くことができませんでした

何か言葉にできない違和感が確かにあって、そしてその違和感を言葉にしなければならないという焦燥感が湧き上がってきました。
思えば同じような違和感を、折に触れて私は感じてきました。例えばあるVTuberさんが「VTuberはなりたい自分の自己実現」という言い方をしていたのですが、その時にも思わず「それは違う」と言いたくなりました。

不思議な話です。先ほど挙げた私の文章も、大意ではこれと同じようなことを綴っているのですから。ならば私が嘘八百を並べているわけでないかぎり、結論はこうなります。
私自身、今までの文章では「バーチャルの可能性」というものについて言語化しきれていない部分があったのだ、と。

このnoteはその言語化としての私の一つの意見であり、誰かに対する否定や批判ではありません。ただこの考えが誰かに届き、その思いを言語化するのに役に立てばいいな、と思いを込めてしたためます。


◆「なりたい自分」という言葉が含む誤謬

さて、ねむちゃんの言葉の何が私に違和感を与えたか。考えていくうちに行き当たったのが「なりたい自分」という言葉に、実は二つの意味があるということです。

「メタバースでは/VTuberは、自由に、なりたい自分になって活動できる」というのがねむちゃんや私が語ってきた主張ですが、ここでいう「なりたい自分」とは、つまり具象的なもの…アバターの姿や年齢、性別、口調、そういったキャラクターの部分です。
これは紛れもなく真です。技術の力を借りることで、準備したアバターや、演じる振る舞いや口調、声という要素を組み合わせて、自分の表象的な部分を望んでデザインすることは既に可能となっており、VRChatやYoutube、Twitterといった一種の”仮想空間”に、人は望む形で、現実とは異なる存在として現れる事ができます。

一方で「なりたい自分」という言葉には、より広く、抽象的なニュアンスがあります。それが自分の理想像、望む姿です。
ゆえに「なりたい自分になる」というフレーズには、自分の理想を達成し、心満たされるというニュアンスが含まれます。これは世に”自己実現"と言われるものです。
これは、言うまでもなくメタバースやVTuberをもってしても与えられるものではありません。どころか、世に生きる誰もが探し求めつつ、ほとんどの人が実現できていないことです。

インタビューを読む限り、ねむちゃんはおそらく後者については意図していないと理解できます。しかし私は冒頭のツイートを見た時、この二つのニュアンスを同時に感じてしまった。
メタバース/VTuberが与えられるものは前者の自己の自由なデザインのみのはずなのに、それが一足飛びに後者の自己実現までもを実現できると言っているような、そんな錯覚をしてしまったわけです。それゆえに私は強い違和感を感じたのだと思います。

…しかし正直なところ、私はこの二つがイコールではないにしても、深くつながっていると考えてきました。ゆえに私は『全てがVになる』でその可能性を語りました。錯誤の背景には、そうした考えがあります。
つまり、私が「バーチャルの可能性」をまだ言語化できてい部分とは、この「自己の自由なデザイン」と「自己実現」の狭間にこそあるということになります。そこを掘り下げてみましょう。


◆「自己実現」とはなにか

ではここで、そも「自己実現」…幸せの現実解といえる概念とはなんであるか、という話をしましょう。

人間にとって、最低限の欲求は生理的欲求です。食欲、性欲、睡眠欲。そうした生物として最低限の欲望が満たされると、次にそうした欲を安全に満たしたいと思うようになります。心配せず生きられる、といっていいでしょう。安全欲求です。
安心して生きていけるようになると、新しい心配をする余裕が生まれ、次に社会的欲求を満たそうとします。これは誤解を承知で言えば”寂しさを消してしまいたい”欲求ともいえます。帰属欲求とも呼ばれるこれは、家族や組織など集団の一部となり、一人でいることの不安、頼りなさを解消することで満たされます。
すると今度はその組織や集団の中で認められたい、価値ある存在だと思われたい…承認されたいという欲求が芽生えます。承認欲求です。

自己実現の欲求とは、この先にあるものです。そして最も難しいことでもあります。
というのも、集団の中で価値ある存在だと認められる(承認される)条件は比較的単純です。例えば会社であれば仕事ができる、頼りがいがある、といった風に、集団の役に立つことです。
しかし自己実現とは、こうした承認を得られる行動が、自分自身の心からの望みそのものと重なっている状態です。つまり承認のために嫌々ながら仕事をバリバリこなしたり、頼りがいのある先輩を演じるのではなく、自分がそうしたいからそうするという状況が必要なのです。

マズローの自己実現理論

これが実現するには、自分の行動が自分自身の望みと一致していること、さらにそれが周囲からの承認を得られること…つまり自分の望み、能力、行動、そして周囲の環境(=他者)が上手く噛み合っていることが必要です。
しかし一度それが揃えば、自分は好きなことをしているのに、周囲からは承認や感謝が降ってきて、さらにそれが好きになり、能力も高まり、それがさらなる承認や感謝につながる…というWin-Winの正の循環が始まります。

例えば、自分の得意分野に合った好きな仕事や研究をこなして、それが評価され、誰からも喜ばれる環境。あるいは家庭の中で自分が好きな料理をして、それが家族の皆から喜ばれる環境。
いってみれば自己実現欲求が満たされるとは、いくつかの条件が揃ったことによるフィーバータイムなのです。

現実には、そんな風にサイコロの目を揃えたいと思っても、人間は簡単に環境を変えることはできません。そしてそれと同じくらいに、自分自身を変えることも難しいです。一度出たサイコロの目を変えることは簡単ではないのです。
それゆえに自己実現とは得ることが難しく、人は思い悩み、それゆえに得られた時には無上の幸せを感じられる…私はそう理解しています。


◆「自己の自由なデザイン」と「自己実現」のギャップを埋めるもの

ようやく見えてきたのではないでしょうか。
人にとって幸せの具象ともいえる自己実現は、自分だけでなく周囲の環境などの条件がうまく揃うことで初めて実現する。しかし一方で、その条件を変えること、サイコロの目を変えることは容易ではありません

一方で、メタバース/VTuberが現に万人に対して可能性を拓く「自己の自由なデザイン」とは、現実では中々変えられなかったサイコロの目をある程度変えられるともいえます。

こうした比喩を用いれば、私が感じている「バーチャルの可能性」を共有してもらうことができると思います。自由度に満ちたバーチャル空間では、現実に比べてサイコロの目を揃えることが…自己実現に到れる可能性が大きく高まるのです。

しかし、私は先にこう書きました。

メタバース/VTuberが与えられるものは前者の自己の自由なデザインのみのはずなのに、それが一足飛びに後者の自己実現までもを実現できると言っているような、そんな錯覚をしてしまったわけです。それゆえに私は強い違和感を感じたのだと思います。

考えてもみましょう。自分の好きなアバターに着替えただけで自己実現に至れますか?VTuberとしてデビューしただけで、自分と誰かがWin-Winになるような素敵な環境が築けますか?
私が違和感を持った部分、そして言語化できていなかった部分こそがそこです。バーチャルをまとうことと、それを幸せに、自己実現につなげることの間には大きなギャップがある。その谷を越えるための営みこそが、むしろ大事な部分なのではないか。では、それは何か。

先ほどの自己実現についての説明を思い出しましょう。自己実現とは、自分の望み、能力、行動、そして周囲の環境といったサイコロの目が揃うことで生まれる状態です。
お分かりでしょうか。上記のうち、たとえ「自己の自由なデザイン」ができても、まだ足りないパーツがあります。

それこそが「自分の行動」と「周囲の環境」。
それこそが「なりたい自分になる」バーチャルの可能性をもってしてもあがなえず、それゆえにもっとも重要な部分。私が「なりたい自分になる」という言葉の誤謬の中で見落としたものでした。

自分の好きなアバターに着替えたあとに、あるいはVTuberとしてデビューしたあとに必要なのは、行動すること。そしてそれを感謝をもって受け入れ、良い関係を築ける誰かを見つけること。それが私が今回言語化したい部分なのです。


◆そして、バーチャルの可能性の活かし方

私たちは、誰にでも扱えて、確実に求めに応えてくれるがゆえに、技術ばかりを信じ、注目しがちです。例えばそれはVRやアバター、VTuberにまつわる技術などで、ともすれば「バーチャルの可能性」の在り処をそこに求めてしまう。
けれど、それは結局ただの道具です。真に大事なのはそれをどう使って自分を変えるか、そして人と関わっていくかです。その過程にこそ「バーチャルの可能性」はあり、言葉にしづらく、また定式化できないものだとしても、私たちはそこを見落としてはいけないと思います。


しかし、それならば「バーチャルの可能性」を活かすためには、具体的に何をすればいいのか
残念ながら、その答えはありません。決まった方法もありません。
そも、バーチャルの中に可能性を見たとしても、殆どの人はそこに求める具体的な望みを持ち合わせていません。その望みを探す所から、旅は始まります。

ただ先達として、寄る辺なき砂漠にささやかな指針を示すならば、それは三つ。

挑戦し続けること」「人とつながること」。
そしてなにより「楽しいことをすること」だと思います。

自己実現の理論を見ても分かる通り、人は他者なくして幸せを感じづらい生き物です。たとえどれだけ人嫌いであっても、そういう生き物なのです。だから望む姿になったのなら、まずは周囲の環境を作る、すなわちその姿を認めてくれる人とつながることが大事でしょう。
楽しいことをするのは言うまでもありません。無理をし続けて、たとえ感謝されたとしても、それは一層無理を続ける動機が増えるだけです。
けれど一方で、一見それと矛盾するようですが、たとえしんどく思えても何よりもまず試行錯誤を…新たなことに挑戦をし続けることこそが、一番大事だと私は思います。

結局、サイコロの目を揃えるにはサイコロを振り続けるしかありません。サイコロを振るとは、新しいことをすること、変わること。すなわち挑戦です。
最初から「これ」という強い望みなど大半の人は持っていません。それを受け入れてくれる環境が簡単に見つかることもありません。だからチャレンジして探すしかない。そしてその中で「楽しい」と思ったら続けていけばいい。もしそこに、他の人からの歓声や感謝があればしめたものです。やる気というのはそういう所からにわかに湧いてきて、往々にして能力とはそうした土壌から後になって伸びてくるものだと私は思っています。
よほどの優れた人でなければ、能力とはそのように後からついてくるもので、先にあるのは他の人からのささいな応援と、そのきっかけとなる新しいチャレンジではないでしょうか。

そして、そうした試行錯誤の繰り返しの末に、はじめてどこかで「目が揃う」タイミングが見えてくる…自分自身、そういう有り難い経験を繰り返してきたがゆえに、そう思います。


バーチャルの可能性」は、そんな挑戦者にこそ力を貸してくれます。
インターネット
という広大で匿名性ある世界と組み合わさったバーチャル空間は、新たなチャレンジがしやすく、新たな人との繋がりを得やすく、歓声を受けやすく、そして上手くいかなくても別の挑戦を選ぶことも容易い環境です。現実と違って、自分の見てほしくない部分やハンディキャップを隠したり、望ましい姿を演じたり、技術の力で変えることもできます。楽しいことも満ち溢れています。
だからサイコロの目が揃う可能性が、現実世界より高くなる。なんならアバターやVTuberとしての「自己の自由なデザイン」によって、強引に「目」を揃えにいくことすらできてしまう。
そういう意味で、「バーチャルの可能性」とは、望む姿に変われることではなく、己の在り方を変えてく容易さににこそあるのではないでしょうか。そしてそれを可能にするのは、変わることを受け入れ、信じる強さです。


そして、お気づきでしょうか。結局、この「バーチャルの可能性」とは、サイコロの目が少しばかり揃いやすくなる、あるいはサイコロを振りやすくなるだけの話にすぎません。
揃えるべきサイコロの目は…幸せの条件は、現実となんら変わりません

バーチャルは…メタバースやVTuberは、きっと私たちの未来に新たな可能性を拓くでしょう。けどそれは、全く新しいものではない。私たちの幸せの要素は、そこでなすべきことは、仮想でも現実でも、今も昔も変わりません。ただそれが少しばかり簡単になるだけです。

そういう意味で、私は思います。仮想世界は人類にとっての変化点ターニングポイントではあっても、特異点シンギュラリティではない。
私たちが前へと進み、「なりたい自分」へ変わっていくための鍵は、仮想世界が生まれる前から私たちの心の中に備わっているのだから。

皆さんの仮想と現実の未来に、幸多からんことを。

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今回もお付き合いいただきありがとうございました。
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