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第一印象はどこまで重要なのか?

(初期)
こんにちは。連日、天気が悪くて気が滅入りますね。洗濯物が中々乾かなくて困っています。

今回は(第一)印象についてまとめてみたいと思い、この記事を書きました。皆さんはどのようにお考えでしょうか。

ちなみに私は、自分の第一印象には自信がありません。(笑)

特に改善しようと思ったこともありません。ありのままが一番だと思いませんか? 自分をむやみやたらによく見せようとしてもいずれはぼろが出るものだと思います。

ただ悲しいかな、情報過多の現代に生きる私たちは、気を抜くと常に様々な情報にさらされ、他者との比較を半ば強制的にさせられている気がしています。

そんな中で自分自身を見失う人が多いように感じられるのは自然なことかもしれません。

話がそれました。

印象には以下のものがあるようです。

第一印象・・・ものごとや人に接して最初に受けた印象

第二印象・・・第一印象を受けた後、会話などのコミュニケーションを経てから抱く相手への印象

第三印象・・・ある程度の年月をかけてつくり上げられる印象

第四印象・・・その人物が死亡した後に語られる印象

第五印象・・・創造主による人への印象

第一印象と一緒によく語られるものに「メラビアンの法則」というものがあります。

言葉に対して感情や態度が矛盾していた場合に、人がそれをどう受け止めるかについての実験結果より、心理学者のメラビアンが導き出したのが「7-38-55のルール」とも呼ばれる「メラビアンの法則」です。

言葉(会話)そのものの内容による言語情報が7%

声のトーンや話すスピードによる聴覚情報の影響が38%

表情や視線、ボディランゲージによる視覚情報の影響が55%とのことです。

また、人が得る情報の8割が視覚によるものだという通説もよく耳にすると思います。根拠となる文献はたったひとつで40年前のもののようです。驚きですね。

視覚8割説をたどると40年近くの以前の神経生理学の教科書にたどり着くことは分かった。しかし,この文献が訂正されることもなく,その後も引用され続けていることは,視覚優位説そのものには,その後のあまり大きな収穫はないと考えられる。そして,たとえ視覚が情報入力の8割以上を占めたとしても,その情報のうち我々の意識に上るのは,その100万分の1というのが,むしろその後加わった主な知見と言える。

「視覚は人間の情報入力の80%」説の来し方と行方:加藤 宏

これらの内容を踏まえて印象というテーマについて考えていきたいと思います。






(長時間経過後)






ここまでで1000字ぐらい書いたのでそろそろいいだろ。

俺が思うことをいくつか書いてみる。まず、第一印象についてだけどビジネスの場とか、関係性が継続することがある程度見込まれる場合は、一般常識に照らし合わせた態度でいればいいんじゃないの。よっぽど変な態度をとらなければ悪印象は与えないはず。わからない人は世間から学ぼう。俺も見よう見真似でやっているところがある。

第一印象は一瞬に近いものなので、服装とか言葉遣いとかその辺りがおかしくなければ問題なさそうだ。挨拶とかも同義で、とりあえず自分のイメージをマイナスにしない(色眼鏡で見られない)ための処世術だと思う。

服装や言葉遣いがその場で浮いていなく、挨拶ができたとしても一般常識として当たり前のことだと思われているので特に加点はされない。必要経費?とも少し違うけど運動前の準備体操みたいなものだと思う。

第一印象を無理にいいものに見せようとする必要はないと俺は考える。一期一会だとしても無理に自分を飾る必要はないのではと。

楽なのは相手によって態度を一切変えず、素の自分(素に近い自分)を出していることだけど、社会で生きる上ではなかなか難しいものがある。

なので、一応相手の様子を見ながら早い段階で素に近い部分も少しずつ出していくようにするのがよさそうだと思う。幻滅されたらそれはそれで。

実現可能かどうかは、自分と相手の組み合わせによるが、自分を相手に合わせるのでなく、相手を自分に徐々に慣れてもらうというのが大事かな。ただ、盲目的に肯定してもらう関係ではない。
素に近い自分を受け入れてくれる相手を探すのが手っ取り早いと思う。

noteではこんな感じで記事を書いているが、社会に溶け込んではいるつもりだ。

この記事内の(初期)と(長時間経過後)の文体を比較すると、(初期)→(長時間経過後)より逆の方が相手に与える印象がいいと思わん?ギャップってやつだな。

というわけで、第一印象がその後の関係性が明らかに修復不可能なぐらいのマイナスでなければ、右肩上がりの印象の変化になるように立ち振る舞うのがよい、というのが今回の結論だ。

noteというプラットフォームの性質上、文体を変えることで印象の違いを表現しようとしたが、そこまで違いが如実ではなかったかもしれない。

前半で挙げた内容に特に触れていなかったけど今回はまあいいや。


※今回の内容とは無関係だが、少し頭の片隅に残っていることがあるのでメモ代わりに書いておく。

記事で文章をまとめようと思い立った時は、脳内にいくつがキーワードや書きたいことみたいなものがおぼろげにある。

いざ、それをnoteの画面を開いて文章にしようとすると、まとまりつつあった脳内の考えが霧散することがたびたびある。あと、文章を書こうとすることに意識を向けすぎると脳内の情報がどこかにいってしまう気がする。

脳内だと印象深いものが断片的なイメージとして保存されているが、まとまった文章で保存されてないので出力しなおすのが大変だ。

脳内で考えていることを文章で出力しているので、自分の言葉(書き言葉でなく話し言葉)でないと違和感がある。

おわり

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