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「東京都同情塔」を読んで

芥川賞を受賞した、生成AIを使用した小説ということで読んでみた。

本作品は、未来の日本が舞台で(2026~2030年ごろ)、犯罪者は「同情されるべき人々」という意味合いの「ホモ・ミゼラビリス」という呼称で再定義されている。

建築家の女性主人公が、その「ホモ・ミゼラビリス」を収容する「シンパシータワートーキョー」という塔のネーミングに違和感を覚えるところから物語は始まる。

「シンパシータワートーキョー」の建設は、独り言が世界を席巻する、大独り言時代の到来をもたらすきっかけになるという。

本作品を説明するキーワードとして「言葉」がある。言葉の意味や使い方・個々人の受け取り方などに言及する描写がいくつか登場する。

このような疑問点などだ。

日本語とは縁もゆかりもない言語から新しい言葉を次々と生み出して、みずからの言葉を混乱させる理由は何なんだ?

もし仮に、日本人が日本語を捨てたら、何が残るんだ?

本文より

「シンパシータワートーキョー」の内部では、「比較」に関する言葉を発すること自体を禁じられている。

また、シンパシータワートーキョーの職員はタワーに居住する最大のメリットは地上に滞留した言葉をリセットできることだと述べている。

さらに、タワーのオープン日にある幸福学者が「ホモ・ミゼラビリス」に対して以下の内容を述べている。

言葉は他者と自分を幸福にするためにのみ、使用しなければなりません。
他者も自分も幸福にしない言葉は、すべて忘れなければなりません。
今日から皆様は、皆様自信を幸福な言葉で再定義することができます。

本文より

言葉を変えても、それが示すものは同じであり、互いの理解が食い違い言葉だけが独り歩きするような事態は今現在も起きていると思う。

作中で「シンパシータワートーキョー」がバベルの塔の再現と表現されているのは上記のルールなどがもたらす結果だと判断できる。

僕がここ数年で読んだ芥川賞受賞作品には、性描写が基本的に出てくるように思うのだがなぜなのだろうか。作品内容とは関係ないが少し気になった。

本書の世界は、アンビルトの女王「ザハ・ハディド」案の(新)国立競技場が建築された世界である。

新築される「シンパシータワートーキョー」は、この競技場に対する回答でなければならなく、2つが揃って初めて都市の風景が完成すると主人公はふと思い至る。

それは自分がやらなければならないという、半ば強迫観念にも似た思いのもと、主人公自らが「シンパシータワートーキョー」の設計を行うことになる。

上記の描写があるため、新国立競技場の平面的に広がる曲線に対する、東京都同情塔の作者が考えるデザインのイメージが見たかったという気持ちがある。表紙にそれが表現されていればよかったのだが、実際の表紙は微妙だと思った。まあ、それを言うのは酷なのだが。

特に盛り上がる場面が無く淡々と進むので、続きが気になるという作品ではなかった。生成AIを使用しているのは、登場人物が疑問点を解消するために作中で使用しており、ここがそうだろうなというのは太字になっていたりして大体わかる。使用範囲は作者本人も言っているように5%程度と少なく作品の根幹にかかわるものではない。

AIを使用していることを叩いている人がいるようだが、そのうちもっとこういった作品が出てくるのだから、早めに受け入れた方がいいのではないかと思う。電子書籍で読んだが、120ページほどで読みやすかった。

主人公の役割というのがいまいち僕には読み取れなかった。主人公の建築家になった理由や思想みたいなのは一応描写されている。また、支配欲の強さが表現されているが、それと建築家であることをなぜ結び付けたのかと、どういう生き様でいたいかなどのキャラクターのバックボーンが弱い気がしている。

終盤には、「シンパシータワートーキョー」がいずれ倒壊する未来を主人公はみている。それは主人公の建築家としての思想が途切れることを暗示しているのか、再度言語の統一性が失われるのかは定かではない。

主人公は「シンパシータワートーキョー」を設計したものの、自分が追求する正解に限りなく近いものだが、満足はしていないと独白している。主人公は自尊心が高く、完璧主義者っぽい描写もあり、そのキャラクター設定にしたのは不確定な未来との対比だろうか。

言葉に対する違和感や危機感などを抱いている人は、現状でそれなりにいそうだとこの本を読んで感じた。

書評っぽく書こうと思ったけど、難しいな。以上

個人的おすすめ度 ★★★☆☆(★3つ)



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