尊敬できる上司がいるという幻想
別に上司という括りでなく、尊敬できる人物にでも置き換えてもらって構わない。タイトル的に「尊敬できる上司」という表現が何となく浮かんだだけである。
『尊敬』という感情について
こちらが本来のタイトルだ。
この尊敬という感情を自分ではイマイチ理解していないので、「尊敬する」とはどういったものかについて考えてみたい。考える前に、僕が尊敬する人物というと、なんとなく祖父がその対象に近いのかもという認識だ。
言葉の意味
尊敬
【尊敬】・・・他人の人格・行為などをとうとびうやまうこと。
例:「尊敬の念を抱く」「尊敬を払う」(広辞苑)
・・・人格・識見・学問・経験などのすぐれた人をとうとびうやまうこと。
例:「尊敬の念」「尊敬を払う」(大辞林)
・・・その人の人格をとうといものと認めてうやまうこと。
その人の行為・業績などをすぐれたものと認めて、
その人をうやまうこと。
例:「互いに尊敬の念を抱く」「尊敬する人物」(大辞泉)
とうとぶ
【とうとぶ】・・・1.尊いものとしてあがめる。たっとぶ。2.価値あるものとして重んじる。尊重する。対象の価値を認めて大切にする意
うやまう
【うやまう】・・・相手を尊んで、礼を尽くす。対象を高位のもの、上位のものとして礼を尽くす意で「神仏を敬う」などのほか、「老人を敬う」「恩師を敬う」のように身近な相手にも向けられる。
まずは辞書的な意味の「尊敬」について考える。
①人格と②それ以外(行為・業績・識見・学問・経験等)にわけて考えた方がよさそうだ。
僕の認識としては以下のようになる。
①人格・・・独立したもの
②それ以外(≒能力)・・・他者との比較によるもの、行為は①に入る場合もあるか。
①②を認めて(とうとび)うやまうことが「尊敬」とのことだが、祖父に対しての感情は少し違うような気がしている。
特に考えるまでも無く辞書に答えがあった。「うやまう」の意味にあるように、上位のものとして礼を尽くすというのが自分の感情のニュアンス的に近いと思われる。
「とうとぶ」という言葉の意味は正直よくわからない。対象の価値を認めて大切にする意とのことだが、何のことやら。モノではないよな。
これについて少し考える。
僕は物理的に独立していることを好むが、精神的にも独立していることを好んでいる。自分にとってこのような状態がデフォルトの意識である。
そのため、意識的に相手の価値(価値観)を認めるのではなく、無意識的に僕以外の他者も独立している(=それぞれの価値観のもと生きている)と勝手に脳が判断しているので、わざわざ相手の価値を認めるという意識的な工程に齟齬が生じて、うやまうの意味がわからないのだと考えられる。認めようが認めまいが、人は独立して存在しているのだ。
だが、この思考は相手を独立した存在であると認識しているようにようにみえて、その実相手に意識を向けていない(相手のことを知ろうとしていない)ので社会を生きる上で必要であろうものとは正反対のものだと思われる。
長々と書いたが、僕がうっすらと思う尊敬の対象は祖父であるというのは「尊敬」の一部である「敬う」という感情からくるもののようなので矛盾するのだが、今までの内容は僕が漠然と抱いている「尊敬」のイメージとは違う。
尊敬の辞書的な意味ではあるので表面上は別に間違っていないが、僕のイメージを言語化できていない。
※尊敬の意味を調べていると「尊い」という言葉の意味が出てきた。下記の意味合いで、最近は使われているとのことだ。(調べるのに邪魔だった。僕が知りたいのはこちらではない。)尊い(とうとい)は、いわゆる「萌え」を超越し、信仰心のような感情を抱いているような状況、またはその感情を指すスラング。転じて、単に「素晴らしい」「最高」といった意味でも用いられる。(wikipediaより)
ChatGPTによる補足
次は、一応のテーマである尊敬できる上司について考える。
尊敬の意味に「人格・識見・学問・経験などのすぐれた人をとうとびうやまうこと。」「その人の行為・業績などをすぐれたものと認めて、その人をうやまうこと。」とある。
仮に上司が上のような人物であった場合、何を思うだろうか。
僕は感心するといった感情が一番近く、真っ先に浮かび上がるように思う。
僕は少なからず能力主義を是としているので、優秀な能力について感心する。
「人格がすぐれていることを認めてうやまうこと」についてはよくわからない。「何を言われても怒らない人」や「嫌な仕事を押し付けられても文句も言わずに引き受けている人」などはおそらく人格がすぐれている人とは言わないのではないか。
「人格がすぐれていることを認めてうやまうこと」についても、「とうとぶ」の意味でふれたような心情であり、理解を拒んでいると思われる。
少し例はズレるが、僕は大人数の人前で話すのが苦手なので、堂々と淀みなく話す人を見ると羨ましく思う。ただ、これは尊敬ではない。羨望である。
羨望についてもその人自身が対象なのではなく、おそらくその能力やスキルといったものに惹かれているだけだと思う。
まとめ
僕は尊敬するという感情が理解できていないので、僕にとっては尊敬できる上司という存在は幻想であると言える。
羨望の対象となる上司も実はいない。
敬うの一部の意味は何となくわかった気がする。(あくまで表面的なものに過ぎない。)
感情を辞書から学ぼうとしてはいけない。
相互理解(このあたりがおそらく尊敬を理解することの第一歩だろう)
自分の中での「尊敬する」は自動的に「尊重する」に置き換えられている。
ここでいう「尊重する」は辞書的な意味ではなく、自分も他者も独立した存在であり、各々の価値観のもと生きているという自動詞に置き換えらえている。
※少しネタに寄っていたので訂正した。
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