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個人的見解が好きな理由

逆説的にふと思ったので書いてみる。

その辺に散らばっている事実を引っ張ってきたり、体裁を整えるのはChatGPTでも全然問題ないと思うが、話の骨子だけは自分の言葉で語って欲しいと思う。

目にした情報と比較して

①内容も表現も同じ(微妙に違っても言いたいことが予想・想像できそうなもの)

②実は内容は違うが表現が同じように感じるもの

③内容は同じ(ように見える)が表現が違う

④内容・表現ともにオリジナリティがある

上記はnoteの記事をイメージしている。①→④の順番で面白さが増すと僕は認識している。

意外と経験則や発想などその考えに至るプロセスが面白かったりする場合もある。

同業者とか同じジャンルを扱っていてフォロワーを増やしたいとかすきをもらいたい人などは、自分だけが知っていそうな情報などをアピールして人の気を引こうとしていることだろう。

調べればある程度の情報が得られるような内容だと、自分よりその詳しい情報を持っており、理解をしている人には勝てないので、どこかオリジナリティを入れたいと思っている。(のではないかと僕は勝手に思っている。)

すでに情報が出ていることを知らずに、自分が何かを発信したいと思う場合と、その情報を知ったうえで自分なりの見解を示したいと思う場合がある。

後者は議論に近いだろう。そういったやりとりの中で新しい情報や考え方が生まれるのも面白いが、noteの記事のようにある種一方通行だが、想像の余地があるもの(自分でそこからさらに内容を発展させられそうなもの)はもっと面白いと感じている。

単に僕がオリジナリティあふれるもので自分の想像力が刺激されるものが好きなだけだ。持論や個人的見解は何らかの経験や思考を経て生み出されたものだと思うので、よく理解ができればその人独自の人生観にもつながると考えている。

そのため、僕は自分が思ったことや考えたことは自分なりの言葉・表現で文字に起こすようにしている。

ChatGPTだけで書かれた文章ってあんまり面白くはないよなとふと思ったことがきっかけでこの記事を書いた。

何かよくわからなくなってしまったが、以上個人的見解でした。

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