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何の罪もない人が~という言い回しに違和感を覚える

よくニュースなどで「(何の)罪もない人が犠牲になった」といった表現を耳にすることがある。

僕は昔からこういった表現に違和感を覚えている。

自然災害に見舞われた場合は、このような表現はしていないと思われる。一方、人為的な出来事に巻き込まれ被害が出た場合は、罪のない人が~という表現が使われているような気がする。

日常、トラブルとは無縁の生活を送っていた人が運悪く何かに巻き込まれたという状況を慮っていることを強調したいがゆえの表現なのだろうか?自然災害の被害に対してはなぜ
表現しないのだろうか?

「罪」の有無は表現しなくてもいいのではないか?「運悪く事件に巻き込まれた無関係な人」ではだめなのか?

逆の「罪がある人が~」という表現は効いたことがないように思う。
これは、トラブルやいざこざ、はたまた復讐のような事態が起こり得るような人間関係だと、何か事件が起きても因果応報とか自己責任だというように扱われ、同情の余地がないと思われているからなのだろうか。

特に大きな理由はないのかもしれないが、「何の罪のない人が~」という表現に違和感を覚えるとともに、それが使われる理由について気になっている。


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