目の中の柱、頭の上のナポリタン ~ナポリタンはこのままでいいのか~
聖書にはよく譬え話が出てくるけど
正直「ハイハイもうわかってるよ」と通り過ぎがちなワイ。
で、1ヶ月くらい前に聖書のこの部分ふと思い出して
聖書を開かずに↓この絵↓をメモしたんだけど
そして、
…とか思ってたんだけど、
あれ?
おろろろろ?
私はまず自分の目から柱を取り除かなきゃいけないってことは、
頭上ナポリタンこのままじゃだめかも?
私偽善者かも?
あれれ?
って思っちゃったわけ。
「神様、私は梁を目から取り除くようにナポリタン頭どうにかしなきゃダメなの?」
マタイ7章でのポイントは「目」
マタイ7章はよく「裁くな(良いとか悪いとかジャッジするな)」ってテーマで取り上げられるけど
このちりと梁の譬えの第二の重要ポイントは、
「目」なんだと改めて気づき。
「目」は唯一
「見える」臓器で(あたりまえ体操〜)
聖書には「目を覚ましていなさい」とよく書かれていて
真実を見て軸がブレないでいることを励ましてる。
大事なのは、梁が入って目が見えない状態で友人をジャッジしてないで、
まずは自分の目に刺さってるでっかい木を取り除こうって。
その後、友人の目の中のホコリをとってあげて、
2人ともよく見えるようになるって。
(見えるようになるのが何かはいつか別の記事で書きたい)*
で、ここでまた思い出した聖句が
私たちがお互いが必要なのはなぜか。
それはお互いに励まし合って
より良くなっていくために存在しているんだね、
ということで、
目の梁は取り除く、ナポリタンはそのままに。
結論、目は開いてよく見えるようにしておくために
柱は取り除く。- faith**
神様はナポリタンごと愛してくれるので、
ただ、ナポリタンを認める。- repent***
だなあ、と
納得したのでした。
ありがとイエス様〜。
-完
追記!!!
実はこのナポリタン話、描いた1ヶ月前は「インスタに投稿しよう〜」とは
全く思っていなくて、
(最近日曜の夜は毎週教会に泊まっているおもちみつ家)
月曜の朝、教会で目が覚めてふと「あ、ナポリタン投稿しよ」と思い立って。
「本当は他の面白いネタ投稿準備してたのになんでだろ」って不思議だった。
でも!!!
なんと!!!
(投稿の1週間後)今日!!!!
私が知りえる女性の中で
もっとも芯があって美しい友人"K女史"から!!!!!
この投稿について電話があって
「あっ
神様がK女史の人生のために私を用いて
あの日あの時間にこの投稿しようって思わせてくれたんだな」
って気づいて「神様!!!!!!!!!」となっておりましゅる!!!
ハレルヤ!!!!
彼女の状況はここでは書かないけど
彼女はまさに{頭上ナポリタン}の投稿を読んで
パートナーとの関係の中で
彼女の目に刺さった梁を自分で取り除いて
目が見えるようになったって電話してくれて
(ちなみにK女史はノンクリスチャン)
私は本当に、
「人生はパズルのようで、いつも神様が正しいピースをはめるために
誰かを遣わして、導いてくださる方だなあ。大きな愛だなあ」と実感…!
私はK女史とパートナーさんとの将来を予測できないけど
こんなふうに人を遣わしてまで気づきを与えるほど神が気にかけている2人。
その2人の将来が
共にいても、((((共にいない場合があったとしても))))
fruitful(実り豊かな)ものになるように祈る✨
in Jesus name!
サポートいただけますと感謝です。ーおもちみつ