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ジェンダーレス制服という言葉から思った事

最近“ジェンダーレス制服”“ジェンダーレス水着”という言葉を
耳にしたり目にする。

率直に、この言葉いる?と思った。
言葉自体の意味は決して悪いものではないが
その言葉からイメージするものが、
まだまだ人それぞれで違うように思うのだ。

単純に
制服と水着のバリエーション増やしました
じゃダメなのだろうか。

日本における制服に関する考え方と言うのは
年々幅が広くなってきていると思う。

制服があると楽
私服を認めて欲しい
セーラー服をブレザーに変えてほしい
学生服をブレザーに変えてほしい
衛生面からも制服は無くて良い
靴下くらい好きな色を穿きたい

などなどなど。

ジェンダーレス制服に関しては、私が見たところ
女子がパンツスタイルを選べるという事らしいが
男子でスカートを穿きたい場合はどうなるのだろうか。

日本人は、そもそもルールが決まってる方が楽だと思う人が多いように思う。つまり、みんなと一緒がいい、という考え方である。
この、「みんなと一緒」の枠から外れた人を“個性的”と表現してきた。
でも、今の若者たちは「みんなと一緒」を望んでいるのだろうか、と思う。
世の中が個性を大事にと言う割には、
制服などでがんじがらめにしようとするのは大人の方である。

知り合いの教師に聞いた話だが、
鞄も靴も色指定がある学校だったため
色は自由でいいのではないかと議論した末に、自由にしたら、
親から「自由じゃ困るからある程度決めてほしい」という声が寄せられた。改革のネックはどうも親らしい。。。


コロナ禍で思った事だが
子どもの方が順応力があるように感じる。
政府が決めてほしい、誰か早く決めてほしい
とせっつくのは大人である。
子どもを見習って柔軟な対応ができる大人になりたいものだ。

自分で考えて自分で決める力が弱いのは
そもそも制服文化からきてる?なんてことをちょっと思った。



と、まぁこんなことを書いてみたが
個人的には、
制服好き~、
着てれば未成年ってすぐ分かるから見守りの対象にはなるよね、
だけど言われてみればたまにしか洗わないから衛生的にどうなんだ、
と思うくらいである。




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