そっとしておくという、やさしさ
人は忘れるようにできている。
初めて精神科を受診したのが、今年6月。
6、7、8月が絶不調だったことは、覚えている。とにかく、ずっとベッドで過ごしていた。
後のことは、あまり覚えていない。
思い出したくないから、忘れてしまったのかもしれない。
わたしが1番辛かった時、家族も辛かったと思う。
わたしの知らない、わたし。
家族の知らない、わたし。
子どもの頃から、家族のマスコット的存在を担ってきた。いつもにこにこ。家族の気持ち、顔色、空気を読んで対応。家族に対しても、気持ちを抑えていた。
ずっと本当の気持ちが言えず、ストレスに感じていたのに、辛くなって頼ったのは「家族」だった。わたしは病気になって、一人暮らしのアパートから逃げるように実家に帰った。
病気になって帰ってきた大きな子どもを、小さかった時のように、食事やお風呂の用意、洗濯など、当たり前のようにお世話をしてくれた。
それ以外は、そっとしておいてくれた。
こちらから話すのを待っていてくれた。
それが、うれしかった。
体調が悪いのは、一目瞭然。
心配しすぎず、「朝だよー 。」「ごはんできたよー。」「お風呂、どうぞ。」くらい、必要最低限の言葉をかけてくれるのが、うれしかった。
心配の言葉すら、やさしい言葉すら、自分を責める材料になるから。
一見、普通のことが、やさしさだったりする。誰もに分かる形のやさしさもある。
だけど、わたしは後から気付かさせられるような、さりげない「やさしさ」が、すきだな。
それができるのは、本当にやさしい人なのだけど。
* 写真は、5~6年前、小豆島に行った時に撮影
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