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関心領域「映画の感想文」

関心領域鑑賞。


あまりに幼い時分、戦争を描いた作品を色々と観てしまったせいで、非常に不安定になってしまった時期があり、(多分親は覚えていないが、その後の人生に大きな影響を与えている。子供を持たない人生を中学生のころに決意していたのも、このことが大きい)ある程度大人になってからは、意識的にその類の情報やエンタメ(あえてエンタメというけれど、戦争を題材にした作品諸々)に触れないようにしてきたところがある。

ナチスやホロコーストを扱ったものも、ほぼ見ないようにしてきた。
それでも、目を背けてはいけない!と、いう気持ちがどこかにあるもの事実で、なんだかんだ、NHKやらBSなんかでドキュメンタリーをやっていたら、見てきたように思う、薄目で。

辛すぎて、もう、人間がいやすぎて直視できないんだよ。

パレスチナとイスラエルの問題も、テレビ以外で流れてくる映像や惨状を表す言葉があまりに辛すぎて、ごめんなさい、見ないよいうにしていました。
それ以前、ウクライナの時も、もう苦しすぎて、見ないようにしていました。
私にできるのは寄付くらいで、国境なき医師団への寄付を月定額に変えたり、そういう本当にわずかなわずかなことだけ。そう思っていた。

そこで、やってきた関心領域。

公開前から、まさに、わたしの視界には入っていた。
でも、これは見ない。わたしは見ないんだ。と決めていた。
けれど、アカデミー賞授賞式で、監督のスピーチを聞いて、会場の雰囲気も含め、これは見ないといけないなあ、今生きてる人間として、わたしは小学校低学年の少女じゃなくて、もう大人だよ、見ないと。
と思わされた。今更ですが。

いざ、夫とともに映画館へ。

※内容に触れます※

まず、居心地の悪い音が続く。耳障りの悪い音。
それでも、画だけ見れば美しい。映像が白けていて、淡いというか。
一見、幸福な家族の日常。豊かな暮らしが淡々と映される。美しい庭。きれいな花がたくさん咲いて、手入れがされている。
清潔な家。素敵な庭で、青い空の下で、リネンが干される。
赤ん坊を抱っこして、美しい世界を見せる母親。
美しい花々の名前を言いながら、においをかがせる。
赤ん坊は、美しい世界の美しい花の匂いをかぐ。
壁一枚隔てて、おぞましい光景がある世界。
様々な、おそろしい匂いが風にのってやってきているはずの世界。

その家の主の元へ、技術者が効率よく作業できる焼却炉の説明に来る。
その内容のおぞましさとは裏腹に、まったく普通の、最新の商品をプレゼンしているかのような彼らの異常性。

妻は、平気な顔で、ある所からやってきた、毛皮のコートに袖を通し、満足そうに鏡の前に立つ。コートのポケットから、口紅が出てきて、それもドレッサーの前に座り自分の口に塗ってみる。色があっているかよくよく見て、まあまあ、気に入った様子で引き出しにしまう。

コートのポッケに、リップいれるよねーわかるー!というリアルさが、より自分と一続きの世界に生きる女性が、殺されて、奪われたことを突き付けてくる。
ひとつ前の季節まで、このコートを着て、ポケットに赤い口紅を入れて、お出かけしていた女性。彼女のことを思わずにいられない。
思わずにいられる女が、このコートを次の冬から着るのだ。

ほかにも、歯磨き粉の中に隠されていたダイヤの指輪を自分の指にして、自慢気に語る女。小柄な人の服を、着たかったけど着られなくてダイエットを決意した女を話題に笑いあう女たち。
すべてがおぞましい。

けれど、この人たちの関心と、今、この瞬間にもたくさんの人々が殺され続けている世界で、同じ空の下で、私は今日も楽天スーパーセールの商品を見て、自分の懐具合と相談したり、これから始まる歯科矯正に向けて、自身の貯金額があっという間になくなっていく事態に恐れおののいている自分の、何が違うんだろう。
容赦なく、突き付けてくる。
容赦なく突き付けられても、わたしの日々は大きくは変わらない。
鉛のように重たい気持ちがおなかに残っているだけ。

物語は、後半に向けていよいよこの一家をめぐる家族の物語となっていく。
妻の母が、新居に訪れる。美しい庭で語らい、この上なく恵まれた環境で暮らす娘を誇らしく思う母。その母が、夜になり、美しく整った寝室から轟音と赤い炎を目にしたとき何を思うか。
夫が転勤を言い渡されるが、「この素晴らしい環境で」子供たちを育てたいと言い張る妻。劇中、居心地の悪い音が鳴り続ける中、ひたすら泣き続ける赤ん坊を、これからもこの場所で育てたいと豪語する妻。

私たちはいつだって、自分の半径数メートルを、居心地よくしたいし、圏内の人たちとよりよく生きたいし、そのことに執心してしまう。
あの、嫌な妻は私と何が違うだろうかと、否が応でも思わされる。
一家の物語を、外部から観察するように見ていた私も、この一家から、妻から見返される。


そして終盤、思わぬタイミングで嘔吐する夫。
その直前のシーンは、夫が、夜中に妻へ電話するというものだった。
さっきまで、華やかな場所に、華やかな人々が大勢集まる中、「この人々を毒ガスで効率よく人を殺すことを考えていた」と言う夫が、自身の名が冠された作戦について自慢げに語り、きっと妻にこそ褒められたかっただろう場面で、夜も遅いという理由であっさり電話を切られてしまうシーンも、非常に夫婦の物語という感じがした。
一瞬、普通の人間に見え、「夫」として不憫になって、一瞬同情さえしてしまった矢先、彼は嘔吐した。

嘔吐という生理が、本当にリアルだった。
そうだよ、せめてそうであってくれよ、と思ってしまった。
狂った世界でも、せめて生理として拒絶してくれよ人間、と。

また、あっと驚く暗視カメラのシーンや、現在と未来の行き来など、一瞬混乱するような仕掛けも見事で、特にリンゴを置く少女のシーンは、この映画の中で唯一、本当に人間的な行いに見えた。言葉にできないけれど、まったくつながりのないように見える、昼間の一家の世界と同じ場所で、あの緊迫感あるシーンがあのような映像で、トリッキーな感じがありつつも両極端な世界が、同じ映画の中で挟み込まれていることが救いでもあった。
あのシーンがある、この映画が、すきだなと思った。うまく言えないけど。

もちろん、パンフレットを購入。
りんごの彼女を、「エネルギーとして捉えた」という監督の話を読んで、感動したし、監督のインタビューや、エッセイを読んでこの映画への理解が深まった。

見落としているところがたくさんありそうなので、また観たいと思う。

そして、わたしが長い間、自覚的に、意図的に見てこなかったものたち。
罪悪感を感じながらも、逃げてきた数々の歴史、そればかりか今も進行形で続くさまざまなおぞましい事態。
まさにわたしが、わたしのために線を引いてきた領域。
これを、逃げ場なく見せつけてくれた、人生の大きな一作になりそう。
定期的に見返すことになると思う。
そして、世界についてちゃんと勉強をしよう、と思った。
思ったよ。








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